高天原3丁目

「日本人の気概」をテーマにしました。日本人の心を子供達に伝える事は今を生きる僕たちの使命だと考えます。コピペ非常に多いです。?ご了承下さいませ。

2016-01-01から1年間の記事一覧

三島由紀夫が号泣した英霊の遺書

三島由紀夫は自決に先立つ、一か月前の昭和45年10月広島県江田島にある海上自衛隊第一術科学校の教育参考館を訪れています。 全国から寄せられた戦没者の遺書の中から手に取った一通の遺書を読み終えた三島は声を出して泣いたそうです。 それは昭和20…

戦艦 長門

戦艦長門(ながと)は長門国を名前の由来に持つ日本海軍の戦艦で長門型戦艦の1番艦である。 大東亜戦前は日本海軍の象徴として親しまれた。敗戦後はアメリカ軍に接収され、原爆実験の標的艦となり沈没した。 大東亜戦争後、長門はアメリカ軍の核実験「クロス…

千人針(せんにんばり)

千人針(せんにんばり)は戦前まで日本でさかんに行われた、多くの女性が一枚の布に糸を縫い付けて結び目を作る祈念の手法、および出来上がったお守りの事です。 武運長久、つまり兵士の戦場での幸運を祈る日本人女性の祈りが込められています。 千人針の画…

関 行男 中佐

関 行男 中佐(せき ゆきお) 1921年8月29日 生まれ~1944年10月25日は、日本の海軍軍人である。レイテ沖海戦において、初の神風特別攻撃隊の一隊である「敷島隊」の隊長として特攻し、アメリカ海軍の護衛空母セント・ローを撃沈したことで、死後「敷島隊五軍…

軍神 広瀬武夫中佐

広瀬武夫(廣瀬武夫)中佐は、慶応4(1868)年生まれの岡藩(大分県竹田市)藩の出身です。 広瀬武夫中佐は、幼少時に母親が亡くなったため、お婆ちゃんに育てられたそうです。明治にはいり、西南戦争で家が焼失したため、一家は飛騨の高山へ引っ越しました。 …

愛國行進曲

愛國行進曲 作詞:森川 幸雄作曲:瀬戸口 藤吉 1番 見よ東海の空明けて旭日高く輝けば天地の正気(せいき)潑溂(はつらつ)と希望は踊る大八洲(おおやしま)おお晴朗(せいろう)の朝雲に聳(そび)ゆる富士の姿こそ金甌(きんおう)無欠(むけつ)揺るぎな…

永野修身元帥

永野修身元帥 永野修身は土佐の人です。一番尊敬していた人が、同郷の坂本龍馬だったそうです。 明治13(1890)年のお生まれで、高知海南中学(現・高知県立高知小津高等学校)を卒業後、海軍兵学校に入学しています。兵学校では、入学時、卒業時とも成績は…

軍神 西住 小次郎 陸軍歩兵大尉

我が故郷、熊本に「軍神」として最初に指定された軍人がいました。 名前を西住 小次郎(にしずみ こじろう)と言います。 1914年〈大正3年〉1月13日~1938年〈昭和13年〉5月17日)大日本帝国陸軍の軍人で熊本県上益城郡甲佐町仁田子出身で僕の出身地の隣まち…

桐野 利秋(中村半次郎)

中村半次郎(後年の桐野利秋)は「人斬り半次郎」と呼ばれ、幕末当時、その名を知らぬ者がいない存在だった。 白柄朱鞘の和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)を腰に帯びて、立派な体躯に絹布をまとい京都の大道を闊歩し、凜々しい眉の下から凄まじい眼光を放っ…

肥後 敬神党(神風連)

幕末の熊本には三党派ありました。 学校党(佐幕攘夷) 勤王党(尊王攘夷) 実学党(尊王開国) 薩摩・長州によって成立した明治維新政府は 五カ条の誓文により公議世論の尊重と開国和親の方針を明らかにしました。 したがって、熊本の「実学党」の主張は政府に近…

杉本 五郎 中佐

杉本中佐は昭和12(1937)年9月に支那事変の戦闘で戦死している。弁慶ではないが、立ったまま往生を遂げている。敵の手榴弾を浴びて倒れた杉本中佐は、軍刀を杖にして、立ち上がり、号令をかけ、倒れることもなく遙か皇居の方向に正対、挙手敬礼をして絶命…

軍神 杉本 五郎中佐 「緒 言」

緒 言 吾児孫の以て依るべき大道を直指す。 名利何んするものぞ、地位何物ぞ、断じて名聞利慾の奴となる勿れ。 士道、義より大なるはなく、義は 君臣を以て最大となす。 出処進退総べて 大義を本とせよ。 大義を以て胸間に掛在せずんば、児孫と称することを…

蛍の光

【蛍の光】 1.蛍の光 窓の雪 書(ふみ)よむ月日 重ねつつ いつしか年も すぎの戸を 開けてぞ今朝は 別れゆく 2.とまるも行くも 限りとて かたみに思う 千萬(ちよろず)の 心のはしを ひとことに 幸(さき)くと許(ばか)り、歌うなり 3.筑紫のきわ…

高村光太郎「12月8日」、記憶せよ!

記憶せよ、12月8日。 この日世界の歴史改まる。アングロサクソンの主権、この日東亜の陸と海とに否定さる。 否定するものは彼らのジャパン、眇(びょう)たる東海の国にしてまた神の国たる日本なり。 そを治(しろ)しめたまふ明津御神(あきつみかみ)なり…

いろは歌

いろは歌(いろはにほへと…) 「いろはにほへと」というのはご存知でしょう。 全部書くと 「いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせす」 です。 これは、「いろは歌」と呼ばれる、47文字のひらがな…

二宮尊徳

昔あって、いま無くなってしまったもののひとつに、小学校の正門あたりの二宮金次郎の銅像があります。 重そうな薪(まき)を背負って読書に励むその姿は、戦前は勤勉の象徴であり、二宮金次郎は、小中学生のもっとも尊敬する歴史上の人物で、つねに1位、2…

中朝事実

中朝事実恒に蒼海の無窮を観る者は其の大を知らず、常に原野の無畦に居る者は其の廣きを識らず。 是れ久しうして馴るればなり。豈に唯海野のみならんや。 愚 中華文明の土に生まれて、未だ其の美を知らず 専ら外朝の経典を嗜み、嘐嘐として其の人物を慕ふ。 …

ルーズベルトに与うる書「口語訳、原文、英文」

【口語訳】ルーズベルトに与うる書 日本海軍市丸海軍少将が、フランクリン・ルーズベルト君に、この手紙を送ります。 私はいま、この硫黄島での戦いを終わらせるにあたり、一言あなたに告げたいのです。 日本がペリー提督の下田入港を機として、世界と広く国…

敬天愛人

敬天愛人 道は天地自然の物にして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす。 天を敬い人を愛し、天を知り、己を尽くし、人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ねるべし。 即ち天とは、宇宙を含め、天地自然の道であり、人の道である。 故に天地自然を…

五省

五省(ごせい) 大日本帝国海軍の士官学校である海軍兵学校(現在は海上自衛隊幹部候補生学校)において用いられた五つの訓戒。 一 至誠に悖(もと)るなかりしか〔誠実さや真心、人の道に背くところはなかったか〕 二 言行に恥づるなかりしか〔発言や行動に…

一源三流

一源三流(いちげんさんりゅう) と言う言葉があります。剣道をやられていた方は道場にこの言葉が掲げてあり目にされた事もあろうかと思います。 一源三流とは、人間の身体から流れ出るものには3つのもの、血と汗と涙があると言う事で、そしてこの三流は誠…

横井小楠 ( 国是七条 )

国是七条 1.大将軍上洛して列世の無礼を謝せ。 1.諸侯の参勤を止めて述職となせ。 1.諸侯の室家を帰せ。 1.外様・譜代にかぎらず賢をえらびて政官となせ。 1.大いに言路をひらき天下とともに公共の政をなせ。 1.海軍をおこし兵威を強くせよ。 1…

乃木希典と「中朝事実」

元治元年(一八六四)年三月、当時学者を志していた乃木希典は、家出して萩まで徒歩で赴き、吉田松陰の叔父の玉木文之進への弟子入りを試みた。 ところが、文之進は乃木が父希次の許しを得ることなく出奔したことを責め 「武士にならないのであれば農民にな…

南洲翁遺訓

第一ケ条 政府に入って、閣僚となり国政を司るのは天地自然の道を行なうものであるから、いささかでも、私利私欲を出してはならない。だから、どんな事があっても心を公平にして、正しい道を踏み、広く賢明な人を選んで、その職務に忠実に実行出来る人に政権…

宮本武蔵 五輪書(空の巻)

二刀一流の兵法の道を空の巻として書きあらわす。空というものは、見ようとして見えないもので、心と体にいっぱいに満たした状態が空である。もちろん、空とはないということである。存在が見えない。世間一般においては、悪い言い方をすれば、物をわきまえ…

宮本武蔵 五輪書(風の巻)

兵法の道では、他流の道を知ることが大切と考えて、他流のさまざまな兵法をここに書付け、『風の巻』としてこの巻を表した。他流の道を知らなくては、一流の道を的確に表現することは出来ない。大きな太刀を使い、道場で強いということだけをその兵法の売り…

宮本武蔵 五輪書(火の巻)

二天一流の兵法におい、戦いのことを火の勢いに見立てて、勝負に関することを火の巻として、この巻に書きあらわすものである。世に兵法と呼ばれるものをだれもかれももが矮小化し、指先の力加減、手首の動きなどを。あるいは扇を持って、ひじから先の小器用…

宮本武蔵 五輪書(水の巻)

《水の巻》 二天一流の中心は水を手本として利のある方法をおこなうのものであるから、水の巻として一流の太刀筋を此の書に書顕すものなり。この道を細かく、心のままに書くことはできないが、たとえ言葉は届かなくとも、その利は自然とわかるであろう。この…

宮本武蔵 五輪書(地の巻)

宮本武蔵 五輪書(地の巻) この兵法の道を二天一流と名付ける。数十年来鍛錬してきた事を、初めて書物に顕そうと思った。時を記す、寛永二十年十月上旬の頃。所、九州肥後の地。岩戸山(市内を金峰山を挟んで反対の海側)に上り、天を拝し、観音(岩戸観音)…

葉隠聞書

【 葉隠聞書 】 「武士道とは死ぬことことと見つけたり」 という言葉が、あたかも武士道の神髄であるかのように受け取られて久しい。今から六十数年近くも前、悲惨な太平洋戦争の時に、日本の若者たちは、特攻隊としてゼロ戦に乗り、人間魚雷回 転に乗り、華…