高天原3丁目

「日本人の気概」をテーマにしました。日本人の心を子供達に伝える事は今を生きる僕たちの使命だと考えます。コピペ非常に多いです。?ご了承下さいませ。

2017-01-01から1年間の記事一覧

日本行進曲の父「瀬戸口藤吉」

瀬戸口藤吉(せとぐちとうきち)は日本の音楽家の一人で海軍軍楽師です。 生没 : 1868年6月29日(慶応4年5月10日)~ 1941年(昭和16年11月8日) 出生地は鹿児島県鹿児島郡小川町(現・鹿児島市)と肝属郡垂水村(現・垂水市)の二説があります。 軍艦行進曲…

藤田東湖の「正気の歌」

藤田東湖の作で「正気(せいき)の歌」という漢詩があります。「正気の歌」は、もとは南宋の文天祥という忠臣がうたったもので、忠臣の鏡とされた人物であり、日本でも維新の志士がその歌を愛誦したといいます。藤田東湖は、これに寄せて、自作の「正気の歌…

伊勢参り

江戸時代の中期以降の庶民の楽しみの一つに、旅行がありました。しかし、当時はただの観光目的の旅には許可が下りなかったために、あくまでも表向きは寺社への参拝ということになっていました。 その中でも特に人気だったのが、伊勢参りです。火付け役となっ…

「ならぬものはならぬ」会津藩白虎隊

慶応四年(1868年)、旧幕府軍(佐幕派=会津藩、新選組、他)と、官軍(勤皇派=長州藩、薩摩藩、他)の戦いの火蓋が切って落とされた。“戊辰戦争”の始まったのである。鳥羽・伏見での戦いは、旧幕府軍の敗戦で終わった。この勝利を見逃さまいと官軍は兵を…

不死身の分隊長 「船坂 弘」

玉砕島から生還した最強の日本兵 200人もの敵兵を倒し瀕死の重症から生還。 不死身の分隊長と呼ばれた伝説の日本兵、船坂 弘を紹介します。 「不死身の分隊長」と称えられ、敵軍であるアメリカ兵からも絶賛された舩坂弘は1920年、農家の三男として栃…

九州「有明海 」の特産種

日本国内での記録が有明海だけに限られる種を「有明海特産種」と呼び、有明海以外ではごく限られた海域にしか生息しない種を「有明海準特産種」と呼びます。 海水と淡水が混じり合う汽水域にすむ生き物も含まれますが、多くは泥干潟に住んでいるか、泥干潟の…

日本人の精神性

戦前の日本は現在の都市部の生活からは想像出来ないほど、共同体意識が強かった。 引越しなどの移動が現在ほど多くなかった戦前の日本は、代々その土地に住み、血縁地縁で深く結びついた社会だった。誰もが郷土に対する強い意識をもち、国際的にもトップクラ…

お帰りなさいコンサート

北朝鮮による拉致被害者 横田めぐみさんの同級生の会、代表 池田正樹氏のFacebookを転用します。 当時13歳だった横田めぐみさんは53歳になっています。 横田めぐみさんのご両親にとって、この40年間の年月は如何なるものであったのか。 横田 滋さん1932…