関 行男 中佐
関 行男 中佐(せき ゆきお)
1921年8月29日 生まれ~1944年10月25日は、日本の海軍軍人である。レイテ沖海戦において、初の神風特別攻撃隊の一隊である「敷島隊」の隊長として特攻し、アメリカ海軍の護衛空母セント・ローを撃沈したことで、死後「敷島隊五軍神」の1人として顕彰された。
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神風特攻隊の一番機として出撃し、昭和19年10月25日にレイテ沖海戦で米護衛空母「セント・ロー」に体当たりして海に散った関 行男中佐、当時(23)が家族らに宛てた遺書を現代訳にて紹介します。
✼戦争賛美などの気持ちは全く有りません。それは当時も今も同じだと思います。それに至った経緯や日本人の気概を皆さまに考えて頂きたいと思います。
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―――両親宛―――
父上様、母上様
西条の母上には幼時より御苦労ばかりおかけし、不孝の段、お許し下さいませ。
今回帝国勝敗の岐路に立ち、身を以て君恩に報ずる覚悟です。武人の本懐此れにすぐることはありません。
鎌倉の御両親に於かれましては、本当に心から可愛がっていただき、その御恩に報いる事も出来ず征く事を、御許し下さいませ。
本日、帝国の為、身を以て母艦に体当たりを行ひ、君恩に報ずる覚悟です。皆様御体大切に
―――(妻宛)―――
満里子殿
何もしてやる事も出来ず散り行く事はお前に対して誠にすまぬと思って居る
何も言はずとも 武人の妻の覚悟は十分出来ている事と思ふ
御両親様に孝養を専一と心掛け生活して行く様
色々と思出をたどりながら出発前に記す
恵美ちゃん坊主も元気でやれ
*恵美ちゃん坊主は妻の妹の事です
―――教官時代の教え子宛―――
教へ子へ
教へ子よ散れ山桜此の如くに