高天原3丁目

「日本人の気概」をテーマにしました。日本人の心を子供達に伝える事は今を生きる僕たちの使命だと考えます。コピペ非常に多いです。?ご了承下さいませ。

一源三流

一源三流(いちげんさんりゅう)

と言う言葉があります。剣道をやられていた方は道場にこの言葉が掲げてあり目にされた事もあろうかと思います。

一源三流とは、人間の身体から流れ出るものには3つのもの、血と汗と涙があると言う事で、そしてこの三流は誠の心という一つの源から流れ出るという教えであります。

一源三流は江戸期の儒者伊藤仁斎の言葉だという説や幕末の剣豪、山岡鉄舟が唱えたという説もありますが、いずれも、三流の源は一つでそれは誠の心であり、この誠の心から三つの流れがほとばしる事、三つの流れは「血」と「汗」と「涙」である事が言えます。

〇国や正義を守るためには命を賭けて「血」を流す。

〇自分や家族のために全身全霊を込めて働き「汗」を流す。

〇友や人と喜怒哀楽を分かち合い共に「涙」を流す。
この「一源三流」の精神こそが今の日本に求められている精神だと思います。

一源三流をわかりやすく考えてみました。

(一源)  誠の心

(三流)誠の心から三つの流れ

一、国のために血を流す(国家存亡の危機には、身を捨てて事にあたる“情熱”を)


一、家のために汗を流す(両親・兄弟の為、一心不乱に努力する“活力”を)


一、友のために涙を流す(友達のために、涙を流せる“情け”を)

 

誠の心がない人は人間ではありません。

その上で情熱と活力と情けは、忘れてはいけないと、この言葉は説いています。

横井小楠 ( 国是七条 )

国是七条

 

1.大将軍上洛して列世の無礼を謝せ。


1.諸侯の参勤を止めて述職となせ。


1.諸侯の室家を帰せ。


1.外様・譜代にかぎらず賢をえらびて政官となせ。


1.大いに言路をひらき天下とともに公共の政をなせ。


1.海軍をおこし兵威を強くせよ。


1.相対交易をやめ官交易となせ。

......................................................

 

1.大将軍上洛して列世の無礼を謝せ。

将軍は、京へ行き、これまでの徳川家中心の政治を、朝廷に謝る。

小楠は、徳川幕閣政治を、徳川家のための「私」の政治である、これを、「公共の政」に改めるべきである。と主張した。「私」の政治を、「公共の政」に変えるために、先ず、これまでの「私」の政治を、天下に謝るべきである。このために、将軍は京へ赴き朝廷に謝るべきとした。

 

1.諸侯の参勤を止めて述職となせ。

参勤交代制をやめて、各大名は、将軍に各藩の情況を報告する制度に改める。

参勤交代制は、徳川幕閣政治を維持するための中核であったが、幕末になると制度疲労を起こし、各藩にとっては財政的な負担が大きく、松平春嶽をはじめ各大名より、改革の声が出始めていた。小楠は、「私」の政治の象徴としての参勤交代を廃止し、大名の役割を、「述職」とすることで、「公共の政」へ政治の体制を変革を図った。また、参勤交代に費やす莫大な費用を、外国から国土を守るための財源とすることとした。

 

1.諸侯の室家を帰せ。

各大名の奥方を、江戸へ常駐させず、各藩へ帰す。

大名の奥方は、いわば人質のようにして、江戸常駐が義務づけられていた。これも、「私」の政治を守る制度であり、その為の維持費の負担も、各藩にとっては莫大なものであった。参勤交代制同様に、この制度の変革を図った。

 

1.外様・譜代にかぎらず賢をえらびて政官となせ。

政治を司る地位には、これまでの伝統にこだわらず、優秀な人材の登用を行う。

徳川幕閣政治は、徳川家のまわりの人々によって政治が行われてきた。外国から条約の締結を要求される時代には、徳川家を守るという事を第一義に考える政治は通用しない。これまでの慣例にとらわれず、優秀な人材を登用することで、「私」の政治から「公共の政」へ改める事によって、諸外国との交易も行えるとした。

 

1.大いに言路をひらき天下とともに公共の政をなせ。

密室で、一部の地位の人だけで決めていく政治を改め、多くの人々の意見を集約する政治を行う。

徳川幕閣政治は、一部の地位の人々による専制政治であった。「日米和親条約」にしても、井伊大老を中心に、徳川幕閣政治を守るにはしかたがないという考えで、一部の人々の意見のみで、条約締結を行った。小楠は、国の大事な方針は、諸大名を集めて議論をし、皆の納得の上で決めていくべきだ、とした。徳川家の「私」の政治から、「公共の政」への転換。徳川家の「専制政治」から、「共和政治」への転換を図った。

 

1.海軍をおこし兵威を強くせよ。

外国の侵攻を防ぎ、日本を守るには海軍の増強が必要。

米・露・英などの国がアジアへ押し寄せ、インド・中国を支配下に置き、日本に対しても、一方的な条件で国交の要求をしてきている中で、国を守るには、海軍の増強が必要であるとした。しかし、徳川幕府のみでは海軍を増強するための財政力はないために、各藩との協力してその体制を作る必要があるとした。

 

1.相対交易をやめ官交易となせ。

外国との貿易を、国の管理下に置き、国の財政基盤を強化する。

外国のいいなりになる、自由貿易はせずに、貿易は当面は国の管理下に置くべきだとした。越前藩では、藩の管理下での貿易「物産総会所」で、藩が莫大な利益を得た。これを手本とし、国も貿易を管理下に置き利益を得ることで、海軍増強の費用の捻出を行うこととした。

乃木希典と「中朝事実」

元治元年(一八六四)年三月、当時学者を志していた乃木希典は、家出して萩まで徒歩で赴き、吉田松陰の叔父の玉木文之進への弟子入りを試みた。

ところが、文之進は乃木が父希次の許しを得ることなく出奔したことを責め

「武士にならないのであれば農民になれ」

と言って、弟子入りを拒んだ。それでも、文之進の夫人のとりなしで、乃木はまず文之進の農作業を手伝うことになった。

そして、慶應元(一八六五)年、乃木は晴れて文之進から入門を許された。乃木は、文之進から与えられた、松陰直筆の

「士規七則」

に傾倒し、松陰の精神を必死に学ぼうとした。

乃木にとって、「士規七則」と並ぶ座右の銘

『中朝事実』

であった。

実は、父希次は密かに文之進に学資を送り、乃木の訓育を依頼していたのである。そして、入門を許されたとき、希次は自ら『中朝事実』を浄書して乃木にそれを送ってやったのである。

以来、乃木は同書を生涯の座右の銘とし、戦場に赴くときは必ず肌身離さず携行していた。
日露戦争後の明治三十九年七月、参謀総長児玉源太郎が急逝すると、山縣有朋は、明治天皇に児玉の後任として乃木を参謀総長に任命されるよう内奏した。ところが、天皇陛下

「乃木については朕の所存もあることじゃから、参謀総長には他のものを以て補任することにせよ」

と仰せられた。そこで、参謀総長には奥保鞏が任命された。
他日、山縣が天皇に拝謁すると、天皇陛下

「先日乃木を参謀総長にとのことであったが、乃木は学習院長に任ずることにするから承知せよ。近く三人の朕の孫達が学習院に学ぶことになるのじゃが、孫達の教育を託するには乃木が最も適任と考えるので、乃木をもってすることにした」

こうして、明治四十年一月、乃木は学習院長に任ぜられた。明治天皇は、就任に際して、次の御製を贈られた。

『いさをある人を教への親として おほし立てなむ大和なでしこ』

乃木は、学習院の雰囲気を一新するため、全寮制を布き、生徒の生活の細部にわたって指導しようとした。この時代、乃木は自宅へは月に一、二度帰宅するだけで、それ以外の日は寮に入って生徒たちと寝食を共にした。

寮の談話室で、乃木は

山鹿素行と『中朝事実』

について、生徒たちに次のように語った。


「この本の著者は山鹿素行先生というて、わしの最も欽慕する先生じゃ。わしは少年時代、玉木文之進という恩師から山鹿先生を紹介せられ、爾来先生の思想、生活から絶大な感化指導を受け、わしが日本人としての天職を悟るに非常に役立つたというものじゃ」


乃木は『中朝事実』に真価について

 

「要はわが日本国本然の真価値、真骨髄をじゃな、よくよく体認具顕しその国民的大信念の上に日本精神飛躍の機運を醸成し、かくして新日本の将来を指導激励するということが、この本の大眼目をなしておるのじゃ」

 

と述べ、その序文については、次のように語っていた。


「人は愚かな者で幸福に馴れると幸福を忘れ、富貴に馴れると富貴を忘れるものじゃ。高潔なる国土、連綿たる皇統のもとに生を享けても、その国土、その大愛に狃れると自主独往すべき根本精神を忘却し、いたずらに付和雷同して卑屈な人間と堕する者が頻々として続出する。これが国家存立の一大危機というものじゃ」

 

「どうじゃな、ここの中華とは中朝と同じく日本国家の事じゃ。これは決して頑迷な国粋論を主張しているものではない。よきをとりあしきをすてて外国におとらぬ国となすよしもがな、
と御製にもある通り、広く知識を求め外国の美風良俗を輸入して学ぶことは国勢伸張の秘鍵ではあるが、それは勿論皇道日本の真価値を識り、その大精神を認識した上でのことでなければならぬのじゃ。盲滅法に外国人に盲従し西洋の糟を舐めて随喜し、いたずらに自国を卑下し罵倒するというのは、その一事すでに奴隷であって大国民たるの資格はない。国家興亡の岐路はそこにあるのじゃ。個人でも国家でも要は毅然たる独立大精神に生き、敢然と自主邁進するにある」

 

明治四十五年七月三十日、明治天皇崩御され、大正元年九月十三日に御大喪が行われることとなった。

殉死の二日前の九月十一日、乃木は午前七時に参内して皇太子(昭和天皇)と淳宮、光宮の三人が揃うのを待って、人ばらいをした。

そして

 

「私がふだん愛読しております書物を殿下に差上げたいと思いましてここに持って参りました。いまに御成長になったら、これをよくお読みになって頂きたい」

 

とお願いし、自ら写本したのが

 

『中朝事実』

 

だった。

南洲翁遺訓

第一ケ条

政府に入って、閣僚となり国政を司るのは天地自然の道を行なうものであるから、いささかでも、私利私欲を出してはならない。だから、どんな事があっても心を公平にして、正しい道を踏み、広く賢明な人を選んで、その職務に忠実に実行出来る人に政権を執らせる事こそ天意である。だから本当に賢明で適任だと認める人がいたら、すぐにでも自分の職を譲る程でなくてはならい。従ってどんなに国に功績があっても、その職務に不適任な人を官職に就ける事は良くない事の第一である。官職というものはその人をよく選んで授けるべきで、功績のある人には、俸給を多く与えて奨励するのが良いと南洲翁が申されるので、それでは尚書しょうしょ(中国の最も古い経典、書経しょきょう)仲虺ちゅうき(殷いんの湯王ゆおう (紀元前1600年前)の大臣)の誥こう(朝廷ちょうていが下す辞令書じれいしょ)の中に「徳の高いものには官位を与え、功績の多いものには褒賞ほうしょうを多くする」というのがありますが、この意味でしょうかと尋ねたところ、南洲翁は大変に喜ばれて、まったくその通りだと答えられた。

 

第二ケ条

 立派な政治家が、多くの役人達を一つにまとめ、政権が一つの体制にまとまらなければ、たとえ立派な人を用い、発言出来る場を開いて、多くの人の意見を取入れるにしても、どれを取り、どれを捨てるか、一定の方針が無く、仕事が雑になり成功するはずがないであろう。昨日出された命令が、今日またすぐに、変更になるというような事も、皆バラバラで一つにまとまる事がなく、政治を行う方向が一つに決まっていないからである。 

 

第三ケ条

政治の根本は国民の教育を高め充実して、国の自衛の為に軍備を整理強化し、食料の自給率、安定の為、農業を奨励するという三つである。その他の色々の事業は、皆この三つ政策を助ける為の手段である。この三つの物の中で、時の成り行きによってどれを先にし、どれを後にするかの順序はあろうが、この三つの政策を後回しにして、他の政策を先にするというようなことがあっては決してならない。

 

第四ケ条

国民の上に立つ者(政治、行政の責任者)は、いつも自分の心をつつしみ、品行を正しくし、偉そうな態度をしないで、贅沢をつつしみ節約をする事に努め、仕事に励んで一般国民の手本となり、一般国民がその仕事ぶりや、生活ぶりを気の毒に思う位にならなければ、政令はスムーズに行われないものである。ところが今、維新創業の初めというのに、立派な家を建て、立派な洋服を着て、きれいな妾をかこい、自分の財産を増やす事ばかりを考えるならば、維新の本当の目的を全うすることは出来ないであろう。今となって見ると戊辰(明治維新)の正義の戦いも、ひとえに私利私欲をこやす結果となり、国に対し、また戦死者に対して面目ない事だと言って、しきりに涙を流された。

 

第五ケ条

ある時『何度も何度も辛い事や苦しい事にあった後、志というものは始めて固く定まるものである。志を持った真の男子は玉となって砕けるとも、志をすてて瓦のようになって長生きすることを恥とせよ。自分は我家に残しておくべき訓があるが、人はそれを知っているであろうか。それは子孫の為に良い田を買わない、すなわち財産を残さないという事だ。』という七言絶句の漢詩を示されて、もしこの言葉に違うような事があったら、西郷は言う事と実行する事とが、反対であると言って見限っても良いと言われた。

 

第六ケ条
人材を採用する時、良く出来る人(君子)と普通(小人)の人との区別を厳しくし過ぎると、かえって問題を引起すものである。その理由は、この世が始まって以来、世の中で十人のうち七、八人までは小人であるから、よくこのような小人の長所をとり入れ、これをそれぞれの職業に用い、その才能や技芸を十分発揮させる事が重要である。藤田東湖先生(水戸藩士、尊王攘夷論者)が申されるには、「小人は才能と技芸があって使用するに便利であるから、ぜひ使用して仕事をさせなければならない。だからといって、これを上役にして、重要な職務につかせると、必ず国をひっくり返すような事になりかねないから、決して上役に立ててはならないものである。」と言われた。

 

第七ケ条 

どんな大きい事でも、小さい事でも、いつも正しい道をふみ、真心をつくし、一時の策略を用いてはならない。人は多くの場合、難しい事に出会うと、何か策略を使ってうまく事を運ぼうとするが、策略した為にそのツケが生じて、その事は必ず失敗するものである。正しい道を踏み行う事は、目の前では回り道をしているようであるが、先に行けばかえって成功は早いものである。

 
第八ケ条 

広く諸外国の制度を取り入れ、文明開化を押し進もうと思うならば、まず我が国の本体を良くわきまえ、風俗教化を正しくして、そして後、ゆっくりと諸外国の長所を取り入れるべきである。そうではなく、ただみだりに諸外国の真似をして、これを見習うならば、国体は弱体化して、風俗教化は乱れて、救いがたい状態になり、そしてついには外国に制せられる事になるであろう。

  

第九ケ条 

忠孝(よく君、国に仕え、親を大事にする事)仁愛(他人に対して恵み、いつくしむ心)教化(良い方に教え導くこと)は政治の基本であり、未来永遠に、宇宙、全世界になくてはならない大事な道である。道というものは天地自然の物であるから、たとえ西洋であっても同じで、決して区別はないものである。

 
第十ケ条

人間の知恵を開発、即ち教育の根本目的は愛国の心、忠孝の心を持つことである。
国の為に尽し、家のため働くという、人としての道理が明らかで有るならば、すべての事業は進歩するであろう。耳で聞いたり、目で見たりする分野を開発しようとして、電信を架け、鉄道を敷き、蒸気仕掛の機械を造って、人の目や耳を驚かすような事をするけれども、どういう訳で電信、鉄道が無くてはならないか、欠くことの出来ない物で有るかということに目を注がないで、みだりに外国の盛大なことをうらやみ、利害、損得を議論しないで、家の造り構えから、子供のオモチャまで一々外国の真似をし、身分不相応に贅沢をして財産を無駄使いするならば、国の力は衰退し、人の心は軽々しく流され、結局日本は破綻するより他ないではないか。

 

第十一ケ条

文明というのは道義、道徳に基づいて事が広く行われることを称える言葉であって、宮殿が大きく立派であったり、身にまとう着物が綺麗あったり、見かけが華やかであるいうことではない。世の中の人の言うところを聞いていると、何が文明なのか、何が野蛮なのか少しも解らない。自分はかってある人と議論した事がある。自分が西洋は野蛮だと言ったところ、その人はいや西洋は文明だと言い争う。いや、いや、野蛮だとたたみかけて言ったところ、なぜそれほどまでに野蛮だと申されるのかと強く言うので、もし西洋が本当に文明であったら開発途上の国に対しては、いつくしみ愛する心を基として、よくよく説明説得して、文明開化へと導くべきであるのに、そうではなく、開発途上の国に対するほど、むごく残忍なことをして、自分達の利益のみをはかるのは明らかに野蛮であると言ったところ、その人もさすがに口をつぼめて返答出来なかったと笑って話された。 

 
第十二ケ条

西洋の刑法はもっぱら、罪を再び繰り返さないようにする事を、根本の精神として、むごい扱いを避けて、人を善良に導く事を目的としており、だから獄中の罪人であっても緩やかに取り扱い、教訓となる書籍を与え、場合によっては親族や友人の面会も許すということである。もともと昔の聖人が、刑罰というものを設けられたのも、忠孝、仁愛の心から孤独な人の身上をあわれみ、そういう人が罪に陥るのを深く心配されたが、実際の場で今の西洋のように配慮が行き届いていたかどうかは書物には見あたらない。西洋のこのような点は誠に文明だとつくづく感ずることである。


第十三ケ条

税金を少なくして国民生活を豊かにすることこそ国力を高めることになる。
だから国の事業が多く、財政の不足で苦しむような事があっても決まった制度をしっかり守り、政府や上層の人達が損をしても、下層の人達を、苦しめてはならない。昔からの歴史をよく見るがよい。道理の明らかに行われない世の中にあって、財政の不足で苦しむときは、必ずこざかしい考えの小役人を用いて、その場しのぎをする人を財政が良く分かる立派な役人と認め、そういう小役人は手段を選ばず、無理やり国民から税金を取り立てるから、人々は苦しみ、堪えかねて税の不当な取りたてから逃れようと、自然に嘘いつわりを言って、お互いに騙し合い、役人と一般国民が敵対して、終には、国が分裂して崩壊するようになっているではないか。

 

第十四ケ条

会計出納(金の出し入れ)は、すべての制度の基本であって、あらゆる事業はこれによって成り立ち、秩序ある国家を創る上で最重要事であるから、慎重にしなければならない。その方法を申すならば、収入の範囲内で、支出を押えるという以外に手段はない。総ての収入の範囲で事業を制限して、会計の総責任者は一身をかけてこの制度を守り、定められた予算を超えててはならない。そうでなくして時勢にまかせ、制限を緩かにして、支出を優先して考え、それに合わせ収入を計算すれば、結局国民から重税を徴収するほか方法はなくなるであろう。もしそうなれば、たとえ事業は一時的に進むように見えても国力が疲弊して、ついには救い難い事になるであろう。

 
第十五ケ条 

常備する軍隊の人数も、また会計予算の中で対処すべきで、決して無限に軍備を増やして、から威張りをしてはならない。兵士の気力を奮い立たせて優れた軍隊を創りあげれば、たとえ兵隊の数は少くても、外国との折衝にあたってあなどりを受けるような事は無いであろう。

 

第十六ケ条

道義を守り、恥を知る心を失うようなことがあれば国家を維持することは決して出来ない。西洋各国でも皆同じである。上に立つ者が下の者に対して利益のみを争い求め、正しい道を忘れるとき、下の者もまたこれに習うようになって、人の心は皆財欲にはしり、卑しくケチな心が日に日に増し、道義を守り、恥を知る心を失って親子兄弟の間も財産を争い互いに敵視するのである。このようになったら何をもって国を維持することが出来ようか。徳川氏は将兵の勇猛な心を抑えて世の中を治めたが、今は昔の戦国時代の武士よりもなお一層勇猛心を奮い起さなければ、世界のあらゆる国々と対峙することは出来無いであろう。普、仏戦争のとき、フランスが三十万の兵と三ケ月の食糧が在ったにもかかわらず降伏したのは、余り金銭のソロバン勘定に詳しかったが為であるといって笑われた。

 

第十七ケ条

正しい道を踏み、国を賭けて、倒れてもやるという精神が無いと外国との交際はこれを全うすることは出来ない。外国の強大なことに萎縮し、ただ円満にことを納める事を主として、自国の真意を曲げてまで、外国の言うままに従う事は、軽蔑を受け、親しい交わりをするつもりがかえって破れ、しまいには外国に制圧されるに至るであろう。

 
第十八ケ条

話が国の事に及んだとき、大変に嘆いて言われるには、国が外国からはずかしめを受けるような事があったら、たとえ国が倒れようとも、正しい道を踏んで道義を尽くすのは政府の努めである。しかるに、ふだん金銭、穀物、財政のことを議論するのを聞いていると、何という英雄豪傑かと思われるようであるが、実際に血の出ることに臨むと頭を一カ所に集め、ただ目の前のきやすめだけを謀るばかりである。戦の一字を恐れ、政府の任務をおとすような事があったら、商法支配所、と言うようなもので政府ではないというべきである。 

 

第十九ケ条

昔から、主君と臣下が共に自分は完全だと思って政治を行った世にうまく治まった時代はない。自分はまだ足りない処がある、と考える処から始めて、下々の言うことも聞き入れるものである。自分が完全だと思っているとき、人が自分の欠点を正すと、すぐ怒るから、賢人や君子というような立派な人は、おごり高ぶっている者に対しては決して味方はしないものである。

 

第二十ケ条

どんなに制度や方法を論議しても、それを行なう人が立派な人でなければ、うまく行われないだろう。立派な人あって始めて色々な方法は行われるものだから、人こそ第一の宝であって、自分がそういう立派な人物になるよう心掛けるのが何より大事な事である。

 

第二十一ケ条

道というものは、天地自然の道理であるから、学問の道は『敬天愛人』を目的とし、自分を修には、己れに克つという事を心がけねばならない。己れに克つという事の真の目的は「意なし、必なし、固なし、我なし」我がままをしない。無理押しをしない。固執しない。我を通さない。という事だ。一般的に人は自分に克つ事によって成功し、自分を愛する(自分本位に考える)事によって失敗するものだ。よく昔からの歴史上の人物をみるが良い。事業を始める人が、その事業の七、八割までは大抵良く出来るが、残りの二、三割を終りまで成しとげる人の少いのは、始めはよく自分を謹んで事を慎重にするから成功し有名にもなる。ところが、成功して有名になるに従っていつのまにか自分を愛する心がおこり、畏れ慎むという精神がゆるんで、おごり高ぶる気分が多くなり、その成し得た仕事を見て何でも出来るという過信のもとに、まずい仕事をするようになり、ついに失敗するものである。これらはすべて自分が招いた結果である。だから、常に自分にうち克って、人が見ていない時も、聞いていない時も、自分を慎み戒めることが大事な事だ。

 

第二十二ケ条

自分に克つと言う事は、その時、その場の、いわゆる場あたりに克とうとするから、なかなかうまくいかぬものである。かねて精神を奮い起こして自分に克つ修行をしていなくてはいけない。

 

第二十三ケ条

学問を志す者はその規模、理想を大きくしなければならない。
しかし、ただその事のみに片寄ってしまうと、身を修める事がおろそかになってゆくから、常に自分にうち克って修養することが大事である。規模、理想を大きくして自分にうち克つことに努めよ。男子は、人を自分の心の中に呑みこむ位の寛容が必要で、人に呑まれてはだめであると思えよと言われて、昔の人の詞を書いて与えられた。

 その志を、おし広めようとする者にとって、もっとも憂えるべき事は自己の事をのみ図り。

けちで低俗な生活に安んじ、昔の人を手本となして自分からそうなろうと修業をしようとしないことだ。

古人を期するというのはどういうことですかと尋ねたところ、尭・舜(共に古代中国の偉大な帝王)を以って手本とし、孔子(中国第一の聖人)を教師として勉強せよと教えられた。

 
第二十四ケ条

道というの天地自然のものであり、人は之にのっとって生きるべきものであるから何よりもまず、天を敬う事を目的とすべきである。天は他人も自分も平等に愛し下さるから、自分を愛する心をもって人を愛する事が大事である。

 
第二十五ケ条

人を相手にしないで、天を相手にするようにせよ。天を相手にして自分の誠をつくし、人の非をとがめるような事をせず、自分の真心の足らない事を反省せよ。 

 
第二十六ケ条

自分を愛すること(即ち自分さえよければ良い)というような心はもっとも善くない事である。修業の出来ないのも、事業の成功しないのも、過ちを改める事の出来ないのも、自分の功績を誇り、驕りたかぶるのも、皆自分を愛することから生ずることで、決して自分だけを愛するようなことはしてはならない。

 
第二十七ケ条

過ちを改めるに、自分から過ったとさえ思いついたら、それで良い。その事をさっぱり捨てて、ただちに一歩前進するべし。過ちを悔しく思って、あれこれと取りつくろおうと心配するのは、たとえば茶わんを割って、その欠けらを集めて、合わせて見るのも同様で何の役にも立たぬ事である。

 

第二十八ケ条

道を行う事に、身分の尊いとか、卑しいとかの区別は無いものである。要するに昔のことを言えば、古代中国の尭・舜(共に古代中国の偉大な帝王)は国王として国の政治を行っていたが、もともとその職業は教師であった。孔子(中国第一の聖人)は魯の国を始め、どこの国にも政治家として用いられず、何度も困難な苦しいめに遭い、身分の低いままに一生を終えられたが、三千人といわれるその子弟は、皆その教えに従って道を行ったのである。

 

第二十九ケ条

正しい道を進もうとする者は、もともと困難な事に会うものだから、どんな苦しい場面に立っても、その事が成功するか失敗するかという事や、自分が生きるか死ぬかというような事に少しもこだわってはならない。事を行なうには、上手下手があり、物によっては良く出来る人、良く出来ない人もあるので、自然と道を行うことに疑いをもって動揺する人もあろうが、人は道を行わねばならぬものだから、道を踏むという点では上手下手もなく、出来ない人もない。
だから精一杯道を行い、道を楽しみ、もし困難な事にあってこれを乗り切ろうと思うならば、いよいよ道を行い、道を楽しむような、境地にならなければならぬ。


自分は若い時代から、困難という困難にあって来たので、今はどんな事に出会っても心が動揺するような事は無いだろう。それだけは実に幸だ。

 
第三十ケ条

命もいらぬ、名もいらぬ、官位もいらぬ、金もいらぬ、というような人は始末に困るものである。

このような始末に困る人でなければ、困難を共にして、一緒に国家の大きな仕事を大成する事は出来ない。しかしながら、このような人は一般の人の眼では見ぬく事が出来ない、と言われるので、それでは孟子(古い中国の聖人)の書に

『人は天下の広々とした所におり、天下の正しい位置に立って、天下の正しい道を行うものだ。もし、志を得て用いられたら一般国民と共にその道を行い、もし志を得ないで用いられないときは、独りで道を行えばよい。
そういう人はどんな富や身分もこれをおかす事は出来ないし、貧しく卑しい事もこれによって心が挫ける事はない。また力をもって、これを屈服させようとしても決してそれは出来ない』

 

と言っておるのは、今、仰せられたような人物の事ですかと尋ねたら、いかにもそのとおりで、真に道を行う人でなければ、そのような精神は得難い事だと答えられた。

 
第三十一ヶ条

正しい道を生きてゆく者は、国中の人が寄って、たかって、悪く言われるような事があっても、決して不満を言わず、また、国中の人がこぞって褒めても、決して自分に満足しないのは、自分を深く信じているからである。
そのような人物になる方法は、韓文はんぶん公こう(韓退之かんたいし、唐とうの文章家ぶんしょうか)の「伯夷はくいの頌しょう」(伯夷はくい、叔斉しゅくさい兄弟きょうだいの節せつを守まもって餓死がししたことを褒め称えた文ぶんの一章いっしょう)をよく読よんでしっかり身に付けるべきである。

 

第三十二ヶ条

正しく道義を踏みおこなおうとする者は、偉大な事業を尊ばないものである。
司馬温公(中国北宋の学者)は寝室の中で妻と密かに語ったことも他人に対して言えないような事は無いと言われた。独りを慎むと言う事の真意は如何なるものであるかわかるでしょう。人をあっと言わせるような事をして、その一時だけ良い気分になることを好むのは、まだまだ未熟な人のする事で、十分反省すべきである。

 

第三十三ヶ条

かねて道義を踏み行わない人は、ある事柄に出会うと、あわてふためき、なにをして良いか判らぬものである。たとえば、近所に火事があった場合、かねて心構えの出来ている人は少しも動揺する事なく、これに対処することが出来る。しかし、かねて心構えの出来ていない人は、ただ狼狽して、なにをして良いか判らず的確に対処する事が出来ない。それと同じ事で、かねて道義を踏み行っている人でなければ、ある事柄に出会った時、立派な対策はできない。私が先年戦いに出たある日のこと、兵士に向かって、自分達の防備が十分であるかどうか、ただ味方の目ばかりで見ないで、敵の心になって一つ突いて見よ、それこそ第一の防備であると説いて聞かせたと言われた。

 

第三十四ヶ条 

策略(はかりごと)は普段は用いてはならない方が良い。
策略をもって行なった事は、その結果を見れば良くない事がはっきりしていて、必ず判るものである。ただ戦争の場合だけは、策略が無ければいけない。しかし、かねて策略をやっていると、いざ戦いという事になった時、上手な策略は決して出来るものではない。諸葛孔明(古代中国の宰相)はかねて策略をしなかったから、いざという時、あのように思いもよらない策略を行うことが出来たのだ。自分はかつて東京を引揚げたとき、弟(従道)に向かって

『自分はこれまで少しも、謀ごとを、やった事が無いので、ここを引揚げた後も、跡は少しも濁ることはあるまい。それだけはよく見ておけ』

と言っておいたという事である。

 

第三十五ヶ条

人をごまかして、陰でこそこそと策略する者は、たとえその事が上手に出来あがろうとも、物事をよく見抜く人がこれを見れば、醜い事がすぐ分かる。人に対しては常に公平で真心をもって接するのが良い。公平でなければ英雄の心を掴む事は出来ないものだ。

 

第三十六ヶ条

聖人せいじん賢者けんじゃになろうとする気持ちがなく、昔の人が行なった史実をみて、自分にはとてもまねる事が出来ないと思うような気持ちであったら、戦いに臨んで逃げるより、なお卑怯なことだ。朱子しゅし(昔むかしの中国ちゅうごく南宋なんそうの学者がくしゃ)は抜いた刀を見て逃げる者はどうしようもないと言われた。誠意をもって聖人せいじん賢者けんじゃの書を読み、その一生をかけて培われた精神を、心身に体験するような修業をしないで、ただこのような言葉を言われ、このような事業をされたという事を知るばかりでは何の役にも立たぬ。私は今、人の言う事を聞くに、何程もっともらしく論じようとも、その行いに精神が行き渡らず、ただ口先だけの事であったら少しも感心しない。本当にその行いの出来た人を見れば、実に立派だと感じるのである。聖人せいじん賢者けんじゃの書をただ上辺だけ読むのであったら、ちょうど他人の剣術を傍から見るのと同じで、少しも自分の身に付かない。自分の身に付かなければ、万一『刀を持って立ち会え』と言われた時、逃げるよりほかないであろう。

 

第三十七ヶ条

未来みらい永劫えいごうまでも信じて心から従う事が出来るのは、ただ一つの真心だけである。昔から父の仇を討った人は数えきれないほど大勢いるが、その中でひとり曽我兄弟きょうだいだけが、今の世に至るまで女子子供でも知らない人のないくらい有名なのは、多くの人にぬきんでて真心が深いからである。真心がなくて世の中の人から誉められるのは偶然の幸運に過ぎない。真心が深いと、たとえその当時、知る人がなくても後の世に必ず心の友が出来るものである。

 

第三十八ヶ条

世の中の人の言うチャンスとは、多くはたまたま得た偶然の幸せの事を指している。しかし、本当のチャンスというのは道理を尽くして行い、時の勢いをよく見きわめて動くという場合のことだ。つね日頃、国や世の中のことを憂える真心がなくて、ただ時のはずみにのって成功した事業は、決して長続きしないものである。 

 

第三十九ヶ条

今の人は、才能や知識だけあれば、どんな事業でも思うままに出来ると思っているが、才能に任せてする事は、危なかしくて見てはおられないものだ。しっかりした内容があってこそ物事は立派に行われるものだ。肥後の長岡先生(長岡監物、熊本藩家老、勤皇家)のような立派な人物は、今は見る事が出来ないようになったといって嘆かれ、昔の言葉を書いて与えられた。

 

『世の中のことは真心がない限り動かす事は出来ない。才能と識見がない限り治める事は出来ない。真心に撤するとその動きも速い。才識があまねく行渡っていると、その治めるところも広い。才識と真心と一緒になった時、すべての事は立派に出来あがるであろう』

 
第四十ヶ条

南洲翁に従って犬を連れて兎うさぎを追い、山や谷を歩いて一日中狩り暮らし、田舎の宿で風呂に入って、身も心も、きわめて爽快そうかいになったとき、悠々ゆうゆうとして言われるには『君子の心はいつもこのように爽さわやかなものであろうと思う』と。

 
第四十一ヶ条

修行して心を正して、君子の心身を備えても、事にあたってその処理の出来ない人は、ちょうど木で作った人形と同じ事である。たとえば数十人のお客が突然おしかけて来た場合、どんなに接待しようと思っても、食器や道具の準備が出来ていなければ、ただおろおろと心配するだけで、接待のしようもないであろう。いつも道具の準備があれば、たとえ何人であろうとも、数に応じて接待する事が出来るのである。だから、普段の準備が何よりも大事な事であると古語を書いて下さった。

 

『学問というものはただ文筆の業のことをいうのではない。
必ず事に当ってこれをさばくことのできる才能のある事である。武道というものは剣や楯をうまく使いこなす事を言うのでは無い。必ず敵を知ってこれに処する知恵のある事である。才能と知恵のあるところはただ一つである』

 

 

 

宮本武蔵 五輪書(空の巻)

 二刀一流の兵法の道を空の巻として書きあらわす。空というものは、見ようとして見えないもので、心と体にいっぱいに満たした状態が空である。もちろん、空とはないということである。存在が見えない。世間一般においては、悪い言い方をすれば、物をわきまえていないことを空であると誤解している。それは本当の空ではない。この兵法の道においても、武士の兵法を理解していないので、空の状態にはなっていないのに、いろいろと迷い、どうしていいのか分からなくなり、空虚になってしまっている状態を空と誤解しがちであるけれども、これは真の空ではない。武士は兵法の道を確かに覚え、その他の武芸をよく理解し、武士のおこなう道がはっきり理解出来ていて、心が迷わない状態で、日々を怠らずに鍛錬し、心、意の2つの心を磨き、観、見の目を研ぎ、少しもくもりがなく、迷いの雲が晴れている状態こそ真の空と思うべきである。


実の道を知らずにいるのは、仏法によらず、世間の法によらず、自分で正しい道と思っていて、いいことだと思っているけれども、本当の道から考えると、世の中の大きなほんものの尺度に合わせてみると、贔屓目であったり、歪んでいたりで、正しい道から外れているのである。この道理をよくわきまえて、まっすぐなところに基本を置き、実の心を道として、兵法の道を広く行い、ただしく、明らかに、物事を大きく捉え、空の境地に到達し、道は空に成る事だと見極める。


空には、善があり惡無し 智があり、理があり、道が有り、(真)心の根本は空也

宮本武蔵 五輪書(風の巻)

 

兵法の道では、他流の道を知ることが大切と考えて、他流のさまざまな兵法をここに書付け、『風の巻』としてこの巻を表した。他流の道を知らなくては、一流の道を的確に表現することは出来ない。大きな太刀を使い、道場で強いということだけをその兵法の売りにしてはならない。、ある流派は短い太刀を使って剣法に専念する。あるいは多くの太刀筋を使い分けて、太刀の構えを表だ、奥だと称して道を伝える流派もある。
これらがのすべてが正しい道でないことを、この巻の中にはっきり書き表し、兵法の善悪理非をはっきりさせる。一流の兵法は彼らとは全く違ったものである。
他流の人々は武芸の道を生計の手段とし、華やかな技巧を飾って、道場で売りものに仕立てているのであって、全く兵法の正しい道からは外れたものである。また世間の兵法の発展を剣術だけに小さく限定してしまい、太刀を振る訓練をし、強い身のこなしを憶え、時間をかけているようだが、いずれも真の兵法のみちでない。
ここに他の流派の欠点をいちいち書き表しておくので、よくよく吟味してわが二刀一流の道理を学んでもらいたい。

 

一 他流に大なる太刀を持つ事
他流に大きな太刀を好むものがある。我が一流の兵法から見れば、この流派を弱者の兵法とみる。その理由は、他の流儀では敵に勝つ道理を云わず、手段に偏って勝つ方法を云い、太刀の長さを長所として、敵の太刀の届かぬところから勝ちを得ようとするので、長い太刀を好むからである。世間で”一寸、勝り”とを言っているのは兵法を知らぬ者の言い分にすぎない。そうであるから兵法の道理を会得していなくって、太刀の長さによって遠いところから勝ちを得ようとするのは、心の弱さのためであって、これをを弱者の兵法と見立てたのである。
もし敵と近づいて互いに組み会うほどのときは、太刀が長いほど打つことができず、太刀を自由に振り回すこともできず、太刀やっかいとなって、短い脇差を振るよりも劣るものである。オールマイティじゃない。長い太刀の流派にはその言い分はあろうが、それは独り善がりのへ理屈にすぎない。正しい道よりみれば道理のないことである。もし長い太刀を持たないで、短い太刀を使うときには必ず負けざるを得ないであろう。
また戦いの場所により、上下左右などに空間がないときや、また脇差だけが使える場合においても、長い太刀に執着していると兵法に対する不信感に発展していき、兵法自体の発展にも悪い。人によって、力が弱く長い太刀をを使えないものもある。昔から大は小兼ねるといわれており、むやみに長い太刀の嫌うのではない。ただ長い太刀にばかり執着する心を嫌うのである。
多人数の戦いにあてはめた場合、長い太刀は多くの人数に相当し、短い太刀は小人数にあたる。小人数と大人数と闘うことはできないであろうか。小人数で多人数に勝った例はいくらもある。我が流においては、狭い考えを嫌うのである。よくよく吟味しなければならない。

 

一 他流において強みの太刀と云ふ事
太刀において、強い太刀に弱い太刀ということはあるはずがない。強い気持ちで振る太刀は粗雑なものとなる。粗雑な太刀だけでは勝ちを得るのは難しいものである。また強い太刀だと言っても人切るとき、強く切ろうとするばかりでは、かえって切れないものである。試し切りの場合にも強く切ろうとするのはよくない。だれでも敵と切り合うとき弱く切ろう、強く切ろうとか考えるものではない。ただ、人を切り殺そうと思うときは、強くきろうとも思わず、もちろん、弱く切ろうとも思わない。敵を殺す程と思うだけである。また力を込めた太刀で、相手の太刀を強く打てば、体制が崩れ悪い結果が生じるものである。相手の太刀に強く当たれば、我が太刀もそのために折れてしまうものである。そういうわけであるから、強く振る太刀ということはありえないのである。多人数の戦いにあてはめてみれば、強力な軍勢を
持ち、戦いに力強く勝とうとすれば、敵も当然強力な兵卒をそろえて、激しい戦いをしようとするので、これはどちらも同じである。戦いに勝つことは正しい道理なしには勝つことはできない。我が一流の兵法の道おいては、無理なことは少しも思わず、兵法の智力によって、どのようにも勝ちを得るということをよくよく工夫せよ。

一 他流に短き太刀を用ゆる事
短い太刀で勝とうとするのは正しい道ではない。昔から太刀、小刀と分けて、長い、短いをいい表している。一般に力の強いものは大きな刀も軽く振ることができるので、わざわざ短い太刀を用いる必要はないのである。そのわけは長さの利点を活用して槍やなぎなたを使うものだからである。
短い太刀を特に愛用するものは、敵が振るう太刀の間を、隙につけ入ろうと思うのであり、このように心が偏ったのはよくない。また敵の好きな様になってばかりいると、すべてが後手となり、敵ともつれ合うことになってよくない。さらにまた、短い太刀によって敵の中へ入り込み1本とろうとするやり方では、(道場で1本取れるが)大敵の中では通用しないものである。
短い太刀ばかりを用いたものは多くの敵に対して、切り払おう、自由に飛び回ろうと思っても、すべてが受け太刀となり、敵とからみあってしまって、確実な兵法の正しい道ではない。同じことならば、わが身は強くまっすぐな状態にして、敵を追い回し、飛び跳ねさせ、うろたえさせるように仕掛けて、確実に勝利を得ることが道である。
多人数の戦いにあっても同じ道理である。同じことならば、大軍勢でいきなり敵に攻め込み、即座にせん滅することが兵法の道である。世間の人々が、兵法を習うのに、常日頃から受ける、交わす、くぐるなどのことばかりで習っていると、潜在的な心に引きずられて、後手に回り、敵に追い回されてしまうものである。兵法の道は正しく、まっすぐなものであるから、正しい道理を以って敵を追いまわし、相手を従えていくことが大切である。よくよく吟味せよ。

 

一 他流に太刀かず多き事
他流において、数多くの太刀の使い方を人に伝えていることは、兵法を売り物に仕立てて、太刀の使い方をいろいろ知っていることを、初心者に感心させるためであろう。これは兵法で最も嫌うべきことである。
その理由は、人を切るのにいろいろの方法があると考えるのが誤りだからである。人を切るということに変わりはない。兵法知るもの知らないもの、女子供であっても、敵を切るということに多くのやり方があるわけではない。切るということ以外には、突く、薙ぐことがあるだけである。とにかく敵を切ることが兵法の道であれば、そのほかに多くの使い方があるべきはずはない。しかしながらその場所や事情によって、例えば上や脇がつまっているところでは、太刀がツカエない様に持つから、太刀の持ち方には五方といって、五種類はあるはずである。それ以外に付け加えて、手を捻るとか、身を捻り、飛びひらき、敵を切ることは正しい兵法の道ではない。敵を切るのに、ひねったり、飛んだり、開いたりして切れるものではない、全く役に立たないことである。
わが兵法にあっては身も心もまっすぐにして、敵をひるませ、ゆがめて、平静さを失ったところで勝つ、このように思う事が肝心なのである。よくよく吟味せよ。(小技は決定的チャンスを掴むまでの便法で,失敗の可能性もあり、合戦では応用できない。)

 

一 他流に太刀の構を用ゆる事
太刀の構え方に重点を置くのは誤った考え方である。世間一般には構えをするということは敵がいない場合のことであろう。そのわけは昔からの先例や、今の時代の方法はなどと法則性をつくることは、勝負の道にはあり得ない。相手に具合が悪いように仕込むことなのである。物事の構えというのは、動遥しない体制をとるための用心なのである。城ををかまえたり、陣をかまえたりすることは、人に仕掛けられても、少しも動遥しない状態をいい表しているのであるが、これは平常のことである。ところが兵法の勝負の道では、何事も先手先手を心掛けることである。これに反して構えるということは、先手を待っている状態である。よくよく工夫せよ。
兵法の勝負の道では、、相手の構えを揺させ、おびやかし、敵をうろたえさせ、敵が混乱して拍子が狂っているところに乗じて勝つのであるから、構えなどという後手の態度を嫌うのである。従ってわが兵法においては、有構無構すなわち構えがあって構えがないというのである。
多人数の戦いの場合にも、敵の兵数に多少を知って、戦場の状態を見極め、我が人数の程度ははかり、その長所を生かして人数を決め、戦いを始めることが合戦に最も重要なことである。人に先手を仕掛けられたときと、自分から仕掛けたときには戦いの有利さは倍も違う。太刀をよく構え、敵の太刀をよく受けよく、弾いたと思っても、所詮受け身というものは、槍や薙刀のような長いものを持っていても、防御にこしらえた柵が槍長太刀を跳ね返しているのと同じことで、本当に敵を打つことはできない。どちらにしても、結果的に負けるなら槍薙刀の代わりに柵木を武器にしても同じである。よく吟味すべきである

 

一 他流に目付といふ事
他流では目付といって、それぞれの流儀により、敵の太刀に見を付けるものと、手に目をつけるもの、また、顔、足などに目をつけるものがある。このように特別に目付けを強調すると、それに惑わされて、兵法の迷いとなるものである。その訳は例えば、鞠蹴る人は鞠に目をつけていないのに、自在に蹴る。ものに習熟するということによって、確かに目でものを追う必要はない。また曲芸などをするものの技にも其の道に習熟すれば、戸板を鼻の上に立てたり、刀をいくらでも手玉に取る、これも皆確かに目をつけることなのだけれども、いつも手慣れているから自然によく見える。兵法においてもその時々の敵との戦いに熟れ、人の技量が解り、兵法の道をを体得できれば、太刀の遠近遅速までもすべて見えるものである。目のつけどころは、相手の心に付いた目で、心眼を働らかせねばならないのである。であるから
我が一流においては、観、見の二通りの目付けがある。観の目を強くして敵の心を見、その場の位を見、大きく目つけてして、その戦いの流れを見て、正しくを勝つことに専心しなければならない。多人数の戦いにおいて、小さいいいところに目をつけてはならない。前にも書いたように、細く小さく目をつけることは、大きな目的を見失い、迷う心が出来て、勝つことを逃すものである。この道理をよくよく吟味して鍛錬すべきである。

一 他流に足つかひ有事
足の踏み方に浮き足、飛び足、はね足、踏みつける足、からす足などと言っていろいろとある。これらはわが兵法から見ればすべて不十分と思われる。浮き足を嫌う理由は、戦いになれば必ず足は浮くようになるので、しっかりと確実に足を踏むことが大切である。また飛び足もよくないのは、飛びあがるとそれによって、次の動作が自由を失うからである。幾度も飛ぶ必要はないのだから、飛び足はよくないのである。また、はねるという気持ちがあってはうまく行かないものである。踏みつける足は待ちの足で特に嫌う、敵に先手を取られる。その他にからす足などと、いろんな速い足遣いがある。また沼、深田、山、川、石原、細道などでも闘う場合が在るから、その場所によって飛び跳ねることができない。平常心のときの姿勢で足らず、あまらず、足が乱れのないようにすべきだ。多人数の戦いにあっても、足の運びが肝要である。敵の意図や手段が理解できないまま、やたらに早くかかれば拍子が狂って、勝ちがたいものである。敵にうろたえがあって、崩れ目が見えるのに、早く勝負をつけることができなくなるのである。敵がうろたえ,崩れる状況をよく見わけて、少しも敵に余裕を与えないようにして勝つことが肝心である。よくよく鍛錬せよ。

 

一 他の兵法に早きを用ゆること
兵法で、さばきが素早いというのは本筋ではない。素早いということは、物事にある拍子のリズムに合わせるもので、速いリズム、遅いリズムといろいろあり、上級者のリズムは早いようには見えないえないものだ。例えば、朝から暮れまでで160キロから200キロと、早く歩く人もある。要領の悪い人は1日中急ぎ続けてもハカがいかず、くたびれ儲けになる。踊り上手に合わせるのに、謡が下手ならば遅れるのを恐
れて、忙しいリズムになる。またツツミ太鼓で老松を打つと静寂感が漂うものだが、下手はこれにも遅れる。高砂は急テンポのリズムだが、早すぎるとよくない。”こける”と言って間が外れる、もちろん遅れてはよくない。とにかく上手のすることはゆっくり見えて、間が飛んだりしない。何事も慣れた、上手のをすることは、忙しくは見えない。鍛錬して、道の理を知れ。特に兵法の道で早すぎるリズムはよくない。沼、深田では、足も、体も動かしにくいので、太刀筋はもっと動かしにくい。早く切ろうと焦ると、扇や小刀のような小ぶりなものならともかく、着実に切ろうとしても切れない、よく考慮せよ。多人数の戦いにしても、早く早くと急ぐう気持ちはよくない。”枕を押さえる”を思い出し、それくらいの気持ちで丁度良い。無駄で無分別の行動はしないで、冷静になり、人に動かされないことが肝要である。この心を工夫し鍛錬するべきである。

 

一 他流に奥表と云う事
兵法のことにおいて、いずれを表といい、何を奥ということができようか。芸によっては時折、極意秘伝などと言って、奥義に通ずる入り口があるけれども、いざ敵と討ち合うときになれば、表で戦い奥で人で切るなどというものではない。わが兵法を人に教える場合には、初めて兵法を習うなう人には、その人の技量に応じて、早く出来そうなところからまず習わせ、早く理解できるような道理などを教え、理解しがたい道理については、その人の理解の進んでいったところ頃合いに従って、次第に深い道理をの後に教えていくように心がけている。しかしながら大抵は実際に敵と打ち合うときの道理を通して理解させているのであるから、奥義に通じる入り口ということはないのである。例えば世間一般に山の奥へ行こうとしてもっと奥へ行こうと思えばかえって、入り口に出てしまうものである。何事の道であっても奥義が役に立つこともあり、また表を使って有効なこともある。この兵法の道にあっては、何をかくして、何を公にするか、などあるであろうか。従ってわが流儀を伝えるには誓詞やは罰文などというものは用いない。この兵法を学ぶ人の智力を見て正しい道を教え、兵法を学ぶうちに身につくさまざまな欠点を除き、自然に武士の道の正しいあり方を悟らせて、動揺しない心にすることがわが兵法の人に教える道であるよくよく鍛錬しなければならぬ。

右は他流の兵法を九カ条として風の巻としてあらまし書き表した。一流一流について、入り口より奥義までを詳しく書きが表さなければならないが、わざと何々の何の極意といった名を記すことはしなかった。そのわけは、それぞれの流派による理論は、その人、各自の考えがあるから、同じ流儀の中でも多少は見解の違いがあるものであるから、後々までのためにどの流派の太刀筋ということは書かなかったのである。そこで他流の大体を九つに分けてみたのである。世間の正しい道理からすれば、長い太刀に偏り、あるいは短い太刀こそ良しとし、強弱のみにこだわり、大まかなことも、また細かなこともすべて偏った道であることが、他流の入り口や奥義のことを書かなくともすべて解るはずであろう。我が一流の兵法にあっては太刀の使い方に初心も奥義もない。極意の構えなどということもない。ただ心の正しい動きによって兵法の特長をわきまえることが最も肝心なのである

宮本武蔵 五輪書(火の巻)

 

 二天一流の兵法におい、戦いのことを火の勢いに見立てて、勝負に関することを火の巻として、この巻に書きあらわすものである。世に兵法と呼ばれるものをだれもかれももが矮小化し、指先の力加減、手首の動きなどを。あるいは扇を持って、ひじから先の小器用さを述べ、また竹刀などでわずかなスピード技を述べ、手や足の動きを練習し、小器用さだけ得ようとしている。わが兵法にあっては、数度の勝負に命をかけて打ち合い、死ぬか生きるかの兵法を実戦した。刀の道筋をおぼえ、敵の打つ太刀の強弱を知り、太刀筋をわきまえ、敵を倒す鍛錬を覚えようというのに、このような小手先だけの、小さな、弱々しい技では問題にならない。特に六具に身をを固めた実戦の場などで、小手先によることなど考えることもできない。さらに命がけの戦いで、1人で5人、10人とも戦い、確実に勝利するのが我が道である。 従がって1人で10人に勝つことも、1,000人で万人に勝つことも何ら違いはないのが道理である。よくよく調べなければならない。しかしながら、普段の稽古で、1,000人も万人も集めて訓練をすることはできない。例えひとりで太刀をとっても、その時その時の敵の計り事を見抜き、敵の強弱や勝機への手だてを知り、兵法の智恵の力を以って万人に勝つところを極めた後、この道の達人たり得るのである。兵法の正しい道を、自分が極めようとしっかり決意し、朝に鍛、夕に錬、技を磨き尽くした後に、人は自在自然に奇特な力を得、自由自在の神秘な力を持つことができるようになるのである。これが兵法を行う神髄である。


一 場の次第と云ふ事

 場の位置を見極める。陽を後ろに背負って構えるのだ。陽を後ろにする事ができないときは、右の脇へ陽を持ってくる。座敷においても、明かりを後ろに、右脇に。自分の後ろの場がつまらないように。夜なども、敵の見える場においては、火を後ろに負ひ、または明かりを右わきにすること。敵を見下ろす、少しでも高いところに構える心を。座敷では上座が高きところ思うべし。 さて、戦いになって、敵を追い回すこと、自分の左の方へ 追い回す。難所を敵の後ろに、とにかく敵を難所追いやることが肝心である。 難所で敵に場を見せず、伺わせず油断なくせり込む。 座敷においても、敷居、鴨居、障子、縁、柱なども同様、いずれも適を追い回す。足場の悪い方へ。または、脇に構造物のあるところへ。いずれも場を利用し。場の利に勝ちを抑えることが肝心。よくよく吟味し鍛錬あるべきである。 兵法の道を鍛錬する者は、平常心の時から、座敷に居ても構造物の利や、位置の利を考え、野山に出ても、山の地の利を考え、川でも、沼でも、いつも地の利を考える心構えが肝要である。 一 三つの先と云ふ事(先手)

 三つの先、一つは我が方より敵へ掛る時の先手、之を『懸の先』と云ふなり。又一つは敵より我方にかゝる時の先手、是は『たいの先』と云ふなり。又一つは我もかゝり敵もかゝり合う時の先手、『対々の先』と云ふ是三つの先なり。何れの戦いの初めにも此三つの先より外はなし。先の状況により勝つ事を得るものなれば、『先』と云ふ事兵法の第一なり。先の状況の仔細は様々あるが、ケースバイケースで論理的に分析し利を生かし、敵の心を見、我兵法の智恵を以て勝つ事なれば、細やかに書き分ける事ではない。第一『懸の先』は、我かゝらんと思ふ時、静にして時をはかり、俄かに早くかゝるのが『先』である。身体の上を強く早くし、底をのこす気持ちでやる『先』、又我心の思いを強くして、しかも、足は常の足より少し早い程度で、敵のわきへ寄ると、早く揉(もむ)み立つる『先』、又心も敵に照準を合わせて、初、中、後、同じ事に敵を挫(くじく)ぐ心にて、こころの底までつよき心に勝を考え、標準をぶち抜く、是れ何れも懸の先なり。第二待(対)の先、敵が我方へかゝりくる時、感知出来ていず弱きやうに見せて、敵がちかくなって、つんと強くはなれて飛つくやうに見せて(狼狽を装い)、敵のたるみを見て、直につよく勝つ事、これ一つの先である。又敵かゝり来る時、我もなほ強くなって出る時、敵のかゝる拍子の変わるタイミングを受け、そのまゝ勝を得る事、是が『対の先』の利なり。第三『対々の先』、敵が早くかゝるには我は静につよくかゝり、敵近くなって、つんと思い切った態勢になり、敵が対応出来ないと見ゆる時、直につよく勝つのである、又敵静にかゝる時、我身軽やかに少し早くかゝりて、敵近くなりて一揉み揉み、敵の対応にしたがひ、強く勝つ事是体々の先である、此の道理を細かく書き分けがたし。此書き付けを以て大略工夫あるべし、此の三つの先はケースバイケースで、常時、我が方より先にかゝる訳でも無いのだが、我方より計って、敵を追い廻はしたいものである、いづれも『先』の事は兵法の智力を以て勝つ事を得る肝心の事で、よくゝゝ鍛錬あるべし

 

『枕を抑える』とは。

 頭を上げさせないということである。兵法勝負の道においては相手に自分をひき回され、後手に回ることはよくない。何としても敵を思いままに引き回したいものである。従って、相手もそのように思う。自分もその気があるわけで,であるから相手の出方を察知することができなくては、先手を取ることはできない。兵法において敵が打ってくるのを止め、突くのを抑え、組み付いてくるところを揉ぎ離すなどをすることなどである。枕を抑えるというのは、自分が一流の兵法を心得て、敵に向かい合うとしたら、敵が思う意図を事前に見破って、敵が打とうとするならば打つの字『う』で先制して、その後をさせないという意味であり、それがまくら押さえるとういうことである。例えば敵がかかろうとしすれば『か』の字で先制する、飛ぼうとうすれば『と』字で先制する、切ろうとすれば『き』の字で抑えていくことで、皆同じことである。敵が自分にどのように仕掛けてきたときも、役に立たないことは敵のするままに任せて、肝心の事をおさえて、敵にさせない様にするのが、兵法において特に重要である。敵のすること抑えようと思うのは後手である。まずこちらは、どんなことでも兵法の道に任せ、技を行いながら、敵も技を直そうとする出端をおさえ、敵のどんな企図も一切役に立たない様にし、敵を自由に引き来回すことこそ真の兵法の達人である。これはただ鍛錬の結果なのである。枕を抑えるということをよくよく調べなければならぬ。

 

渡を越すというのは、

 例えば海を渡るのに、瀬戸というところもあり、また40里、50里の長い海上を渡るのを『渡』というように難所を乗り切るというほどの意味である。 人の一生のうちにも危機を超えるという場合も多いであろう。船路にあってはその『渡』のところを知り、船の位置を知り、日の良しあしをよく知って、友船を出さなくとも、1人で出港し、その時々の状況に応じて、あるいは横風に、あるいは追い風を受け、もし風向きが変わっても風に頼らず、二里や三里は櫓を漕いででも港に着く。『渡』を越す。人の世も一大事を乗り越える、『渡』を越すと思い全力を尽くして危機を乗り越えるということがなければならぬ。兵法戦いの時にも、渡を越す気持ちが大切である。敵の程度を知り、自分の能力を正しく判断して、兵法の道理によって危機を乗り切るということは、優れた船頭が海を渡るのと同じ。危機を乗り切ればその後は心配ないものである。渡を越したしたことによって敵に弱みを生じさせ、わが身は優位に立つことができ、たいていの場合早々と、勝ちを得ることができる。多人数の戦いの上でも、一対一の勝負の上でも、渡を起こすというのは大切なことである。よくよく調べなければならぬ。

 

一 景気を知ると云ふ事

 景気を見るというのは、多人数の戦いでは敵の意気が盛んか、衰えているかを知り、相手の人数のことを知り、その場の状況を知り、敵の状態をよく知って、こちらの人数をどう動かし、この兵法の利によって確実に勝てるというところを見込み、先の状況を見通して闘うということである。また一対一の戦いにあっては、敵の流派をわきまえ、相手の性質をよく見て、その人の短所長所を見分けて敵の意表をつき、間の拍子をよく知って先手をとっていくことが重要である。物事の景気というのは、自分の知力さえ優れていれば、必ず見えるものである。一流の兵法を自由にこなせれば、敵の心の内ををよく推し量って、勝ちをしめる手段は多く見いだすことができるはずである。十分に工夫すべきである

 

一 けんをふむと云ふ事

 剣を踏む。ということは、もっぱら兵法において用いるものである。まず多人数の戦いでは、敵が弓、鉄砲用いてこちらへ打ち掛け、仕掛けてくるというときには、敵はまず弓、鉄砲うち掛けて、その後から攻めかかるものであるから、こちらもまた、弓をツガエ鉄砲に火薬を詰めていては、敵陣に押し入ることはできない。このような場合、敵が弓鉄砲などを放つ前に、いち早く攻め入るように心がけ、早くかかれば敵は、弓の弦をあてがことも、鉄砲を撃つこともできない。敵が仕掛けてくるところをそのまま自然に受け止め、敵の攻撃を踏みつけて勝つことである。1対1の戦いでも、敵が打ってくる太刀を受けていては、とたんとたんという拍子になって、勝負のはかがいかない。敵が打ち掛ける太刀を踏みつける気概で、先制攻撃で勝ち、二の太刀など許さないようにすべし。踏むというのは、足にはかぎらず、身にても踏み、こころにても踏み、勿論太刀にても踏み付け、二の太刀などさせないように心得るべし。これが、すなわち、物事の先。敵の仕掛けるのと同時にぶつかるというのではなく、そのまま後に取り付き機先を制する(先制攻撃の本質である。ボクシングで言うならクロスカウンター)ことである。よくよく調べるべきことである。


一 くづれを知ると云ふ事

  崩れるということは何事についてもあるものである。家が崩れるのも、身が崩れるのも敵が崩れることもみな、その時にあたって、拍子が狂ってしまって崩れるのである。多人数の戦いにおいても、敵が崩れる拍子を捉まえて、その間を取り逃さないように追い立てることが肝心である。崩れるのを外してしまえば、盛り返す場合もある。また一対一の兵法においても、戦っているうちに、敵の拍子が狂って、崩れ目が出てくるものである。その時油断すれば敵はまた立ち直り、態勢を取り戻しどうにもならなくなるものである。敵の崩れ目を突き、立ち直ることができないように、確実に追い討ちをかけることが大切である。追い打ちをかけるとは、一気に強く打つことである。敵が立ち直れない様に討ちはなすものである。この討ちはなすということを、よくよく理解しなければならない。討ちはなさければ、ぐずぐずしがちになる。工夫すべきである。

 

一 敵になると云ふ事

  敵になるというのは、わが身を敵の身になり代わって考えるというのである。世の中を見ると、例えば盗人などが、家の中に立てこもったると、非常に強い敵のように思えてしまう。敵の身になっみいれば、逃げ込んで、世の中の人を皆敵とし、自分ではどうにもならなくなっている。進退極まった気持ちになっているのである。立てこもっているのは、キジであり討ち取りに入り込んでいくものは鷹である。この状態を分析すべきだ。多人数の戦いにおいても、敵は強いものと思いこんで、大事をとって消極的になるものである。しかし良い人数を持ち、兵法の道理を知り、敵にうち勝つところをよく心得ていれば心配すべきことではない。一対一の兵法においても、敵の身になって思ってみよ。兵法をよく心得て、剣の理にも明るく、道理に優れているものに当たっている。必ず負けると思っているものである。よくよく工夫すべきである。

 

一 四手をはなすと云ふ事

 四つの手を離す。というのは敵もわれも同じ気持ちとなり、互いに張り合う状態になっては、戦いはどうにもならなくなるので、張り合うようになったと思えば、そのままの状態を捨て、別の方法で勝つことを知れというのである。多人数の戦いによっては、4つに張り合う状況になっては、決着がつかず、味方の人数も多く失うものである。こういう場合は、早く転身して敵の意表をつくような方法で勝つことが最も大切である。また一対一の兵法にあっても四つ手になったと思ったら、状況をかえて、敵の様子を見て、いろいろと変わった手段で、勝利を得ることが肝要である。よくよく考えなさい。 一 かげを動かすと云ふ事 陰を動かすというのは、敵の中の動きが見分けられない場合の方法である。多人数の戦いにあっても、どうしても敵の状況が分からないときには、こちらから強く仕掛けるように見せ掛けて、敵の出方を見分けるものである。出方が分かればいろいろな方法で、勝つことはたやすいものである。また一対一の戦いにおいても、敵が後ろに太刀をかまえたり、脇にかまえたりしたとき、不意に討とうとすれば、敵はその意図を、太刀に表すものである。敵の意図があらわれ、知れた時には、こちらはそれに応じた手をとって、確かに勝利を収めることができる。こちらが油断すれば、拍子を外してしまうものである。よく調べなければならぬ。

 

一 影を抑ふると云ふ事

 影を抑えるというのは、敵の方からかかってくる意図が見えた時の方法である。多人数の戦いにあっては、敵が仕掛けてこようとするところを、こちらからその戦法を抑える調子を強く見せれば、敵は強い態度をに押されて、やり方を変えるものである。こちらも戦法をかえて虚心に、敵の先手を取り、勝ちを得るのである。一対一の戦いにおいても、敵から生じる強い気を、我が拍子によって抑え、くじけた拍子に、こちらは勝利を見出し、先手を取っていくのである。よくよく工夫しなければならぬ。

 

一 移らかすと云ふ事

 物事には移らせるということがある。例えば眠りなどもうつり、あるいは、あくびなども人にうつるものである。時が移るということもある。多人数の戦いにおいて、敵落ち着きがなく、ことを急ごうとする気が見えたときは、こちらは少しもそれに構わぬようにして、いかにもゆったりとなったと見せると、敵もこちらに引き込まれて、気分がたるむものである。そのような気分が、敵に移ったと思ったとき、こちらは心を空にして早く強く打ちかかることによって、勝利を得ることができる。個人の戦いにおいても、わが身も心もゆったりと、敵がたるむ間をとらえて、強く早く、先手を打って勝つことが重要である。また酔わせるといって、これに似たことがある。ひとつは心にイヤ気が差すこと。ひとつは心に落ち着きがなくなること。ひとつは心が弱くなることであり、こちらの心に相手を引き込むことなのである。よくよく工夫せよ。

 

一 むかつかすると云ふ事

 心を興奮動揺させるということは、いろんな場合にはある。ひとつは危険な場合、二つは無理な場合に、三つには予測しないことが起きた場合である。これをよく研究すべきである。多人数の戦いでも、相手方の心を動揺させることが肝心である。敵の予測しないところを激しい勢いで仕掛けて、敵のこころが定まらないうちに、こちらの有利なように、先手をかけて勝つことが大切である。また一対一の戦いでもはじめはゆっくりした様子で、急に強くかかり、敵の心の動揺に応じて、息を抜かず、こちらの優位のまま、勝ちを得ることが肝心である。よくよくが味わうべきである 一 おびやかすと云ふ事 おびえるということは物事によくあることで、思いもよらぬことに怯えることである。多人数の戦いにあって敵を脅かすことは、目に見えることだけではない。あるいはものの声で脅し、あるいは小さな兵力を大きく見せて脅し。または、横から不意に脅かすなど、すべて脅かすことである。そして敵がおびえた拍子をとらえて、有利に勝ねばならない。1対1の戦いにおいても、身をもって脅し、太刀を以って脅かし、声をもって脅し、敵が思いもかけのことを不意に仕掛けて、敵がおびえたところにつけ入り、そのまま勝利を得ることが肝要である。よくよくを味わうべきである。

 

一 まぶるゝと云ふ事

 まぶるるというのは、敵と自分が接近して、互いに強く張り合って、思うようにならないとみれば、そのまま敵とひとつに混ざり合って、まざりあううちに有利に勝つこと、大切な事である。多人数の戦いでも少人数の戦いでも、敵と味方が分かれて向き合っていて、違いに張り合って勝負が決まらないときには、そのまま敵とからみあい、互いに敵味方の区別が分からなくなるようにして、その中で有利な方法をつかみ、絶対に勝つことが大切である。よくよく吟味せよ。 一 かどにさはると云ふ事 角にさわるというのは、一般に強いものを押すのに、そのまままっすぐに押し込むのは容易なことではない。多人数の戦いにあっては、敵の人数をよく見て、強く突出した所の角を攻めて、優位に立つことができる。突出した角がのめるに従い、全体も勢いがなくなる。その勢いのなくなる中でも、出ているところ、出ているところを攻めて、勝利を得ることが大切である。一対一の戦いでも、敵の体の角に損傷をあたえれば、からだの全体が次第に崩れた態勢になって、容易に勝ちを得ることができる。この道理をよくよく検討して勝ちを得ることをわきまえることが大切である

 

一 うろめかすと云ふ事

 うろたえさせるというのは、敵にしっかりとした心を持たせない様にすることである。多人数の戦いにあっては、戦場において敵の意図を見抜き、わが兵法の智力によって、敵の心をそこか、ここか、あれやこれやと迷わせたり、遅いか早いかと迷わせて、敵の心がうろたえたさせた拍子を捕まえて、確実に勝利を得る方法をわきまえることである。また一対一の戦いにおいても、自分は時期をとらえて、いろいろな技を仕掛け、あるいは打つと見せ、あるいは突くと見せ、また入り込むと思わせ、敵のうろたえた様子につけ込み、思いのままに勝つところ、これが是れ戦の専であるよくよく検討せよ。


一 三つの声と云ふ事

 三つの声とは初、中、後の声といって、三つに分けた声のことを言う。時と場所により、声を掛けるということが大切である。声は勢いを付けるものであるから、火事や、風波に向かってもかけるものである。声は勢いを示すものである。多人数の戦いにあっては、戦いの最初にかける声は、相手を威圧するように大きく掛ける。また戦いの間の声は調子を低くし、底から出るような声をかける。戦いに勝った後には、大きく強く声をかける、これが三つの声である。一対一の戦いにおいても、敵を動かそうとするためには、打つと見せて、初めにエイと声をかけ、声の後から太刀を出すものである。また敵をうち破った後に声をかけるのは、勝ちを知らせる声である。これを戦後の声という。太刀を打つとを同時に大きく声を掛けることはない。もし戦いの最中にかける声は、拍子に乗るための声で、低く掛けるのである。よくよく調べよ。

 

  一 まぎるゝと云ふ事 まぎれるというのは、多人数の戦いの場合に人数が対峙し合って、敵が強いと見たときは、まぎれるといって、敵の一方にかかり、敵が崩れたと見たならば、直ちにうち捨てて、また他の強いところにかかるのをいう。いわばつづら織り模様にかかることである。1人で多勢を敵に回して、闘うときにもこの心がけが大切である。一方ばかりに勝ち抜くのではなく、一方が逃げ出せば、今度は別の強い方へかかり、敵の拍子を見とって、あるいは左、あるいは右と、つづら折りの心持ちで打って行くのである。敵の力の程度を見極め、打ち込んでいく場合には、一歩も引かぬ心持ちで、強く打ち込み勝利を得るのである。1対1の時も、敵の足元に身を寄せて入り込んでいく、敵が強いときにはやはりこの心得が必要である。まぎれるというのは一歩も引くことを知らず、紛れ込んでいことで。あるよくよく理解せよ。

 

 一 ひしぐと云ふ事 ひしぐというのは、例えば敵を弱く見なして、自分は強い気で一気におし潰すことを言う。多人数の戦いにはあっては敵が少人数であることを見抜いたとき、又は、たとえ多人数であっても、敵がうろたえて弱みが見えれば、初めから優勢に乗じて完膚なきまでにうちのめすものである。もし一気におし潰すことが出来ないと、盛り返されることがある。手のうちにに握って、おしつぶすことをよく理解せよ。 また一対一の戦いのときにも自分より未熟な者、また敵の拍子が狂ったとき、退めになったときには、少しも息をつかせず、目を会わせないないようにして、一気にうちのめすことが肝心である。少しも立ち直ることができないことが第一である。(水に落ちた犬は打て)よくよく吟味せよ。

 

一 山海の変りと云ふ事

  山海の心というのは、敵とわれ等が戦う時に同じことをたびたび繰り返すことはないというのである 同じことを2度繰り返すのは仕方がないが、三度してはならない。敵にわざを仕掛けるのに、1度で成功しない時には、もう1度攻めたててもその効果はなくなる。全く違ったやり方を、敵の意表をついて仕掛け、それでもうまくいかなければ、さらにまた別の方法を仕掛けよ。 このように敵が山と思えば海、海と思えば山と意表をついて仕掛けるのが兵法の道である。よくよく吟味すべきことである。

 

一 底をぬくと云ふ事

  底を抜くというのは、敵と戦ううちに、兵法の技をもって形の上では敵に勝つように見えても、敵が敵愾心を持ち続けているので、表面では負けていても、心底では負けていないことがある。そのような時にはこちらは素早く心持ちを変えて、敵の気力をくじき、敵を心底から負けた状態にしてしまうことを見届けることが肝要である。こうして底を抜くというのは太刀によっても、体によっても、また心によっても底を抜くのである。敵が心底から崩れてしまった場合にはこちらも心を残しておく必要はないが、そうでないときには、心を残しておかねばならぬ。敵も心を残しているなら、なかなか崩れないものである。多人数の戦いにも一人ひとりの戦いにもこの底を抜くということをよくよく鍛錬しなければならない。

 

一 新になると云ふ事

  新になるというのは、敵が自分と戦うときに、もつれる状況になってうまくはかがいかなくなったとき、自分の意図をふり捨てて、新しく物事を始める気持ちで、その拍子になり勝ちを見いだすことである。新になるのは、何時も敵と自分とがギシギシするような状況になったと思えば、そのままこちらの意思を変え、まったく違った方法で勝ちを締めるのである。 多人数の戦いにあっても、新たになるということをわきまえることが肝心である。兵法に達っしたものの智力をもってすれば、容易に見えるものであるよくよく吟味せよ。

 

一 鼠頭牛首と云ふ事

  『ネズミの頭牛の首と』いうのは、敵と戦ううちに互いに細かいところばかり気を取られて、もつれる状況になったとき、兵法の道をネズミの頭から牛の首を思うように、細かなところにとらわれず、ポイントを思い返し、局面の転換を図ることを兵法の心掛けで、”鼠頭牛首”と云ふ。武士たる者は平生も、ネズミの頭を牛の首のように、変化を見ることが肝心である。多人数の戦いおいてもこの心掛けを忘れてはならない。 よくよく吟味すべきである 一 将卒を知ると云ふ事 将卒を知るというのは、どんな戦いの時にも自分の思うようになったら、たえずこの”将卒を知る”という方法を行い、兵法の智力を得て、自分の敵となるものすべて我が兵卒と考えて、自分の指図のままに従わせることができるものと心得て、敵を自由に引き回すことを言う。このようになれば自分は将、敵は兵卒となるよく工夫せよ

 

一 束をはなすと云ふ事

 柄を離すというのは、いろんないろいろな意味がある。刀を持たないでも勝つ道もあり、また太刀以外のもので勝つこともある。さ まざまな意味があるのでいちいち書きしるすことはできない。よくよく鍛錬せよ。 一 岩石の身と云ふ事 巌の身というのは兵法の道を得ることにより、たちまちにして厳のように堅固となり、どんなことがあっても切られることなく、動かされぬようになることである。口伝である。 右に書き記したことはに、一流の剣術の場合に絶えず思いあたることである。今初めて兵法に勝つ道を書きあらわしたものであるから、前後の道理が少し混乱して細かく表現することができない。しかしながらこの道を修めようとする人のためには、道しるべとなる。自分が若年のときから兵法の道に心を傾け、剣術の1通りのことを修練し、鍛錬しさまざまな考え方を身に付けたが、他の流派を見ていると、あるいは口先だけでうまい講釈をしたり、あるいは手先で細かい技巧こなし、他人の目には有為のように見えるが、ひとつも真実がない。もちろんこうした兵法は、体を鍛え心を鍛えているとは思うけれども、皆後世への病弊となり、兵法の本当の道が伝わらない。兵法の正しい道が朽ちていく。剣術の正しい道というものは、敵と戦って勝つことであり、これこそ絶対に変わらないことである。わが兵法の智力を得て正しい兵法の道を実践していけば、勝ち得ることは絶対に疑い得ないものである。