高天原3丁目

「日本人の気概」をテーマにしました。日本人の心を子供達に伝える事は今を生きる僕たちの使命だと考えます。コピペ非常に多いです。?ご了承下さいませ。

乃木希典と「中朝事実」

元治元年(一八六四)年三月、当時学者を志していた乃木希典は、家出して萩まで徒歩で赴き、吉田松陰の叔父の玉木文之進への弟子入りを試みた。

ところが、文之進は乃木が父希次の許しを得ることなく出奔したことを責め

「武士にならないのであれば農民になれ」

と言って、弟子入りを拒んだ。それでも、文之進の夫人のとりなしで、乃木はまず文之進の農作業を手伝うことになった。

そして、慶應元(一八六五)年、乃木は晴れて文之進から入門を許された。乃木は、文之進から与えられた、松陰直筆の

「士規七則」

に傾倒し、松陰の精神を必死に学ぼうとした。

乃木にとって、「士規七則」と並ぶ座右の銘

『中朝事実』

であった。

実は、父希次は密かに文之進に学資を送り、乃木の訓育を依頼していたのである。そして、入門を許されたとき、希次は自ら『中朝事実』を浄書して乃木にそれを送ってやったのである。

以来、乃木は同書を生涯の座右の銘とし、戦場に赴くときは必ず肌身離さず携行していた。
日露戦争後の明治三十九年七月、参謀総長児玉源太郎が急逝すると、山縣有朋は、明治天皇に児玉の後任として乃木を参謀総長に任命されるよう内奏した。ところが、天皇陛下

「乃木については朕の所存もあることじゃから、参謀総長には他のものを以て補任することにせよ」

と仰せられた。そこで、参謀総長には奥保鞏が任命された。
他日、山縣が天皇に拝謁すると、天皇陛下

「先日乃木を参謀総長にとのことであったが、乃木は学習院長に任ずることにするから承知せよ。近く三人の朕の孫達が学習院に学ぶことになるのじゃが、孫達の教育を託するには乃木が最も適任と考えるので、乃木をもってすることにした」

こうして、明治四十年一月、乃木は学習院長に任ぜられた。明治天皇は、就任に際して、次の御製を贈られた。

『いさをある人を教への親として おほし立てなむ大和なでしこ』

乃木は、学習院の雰囲気を一新するため、全寮制を布き、生徒の生活の細部にわたって指導しようとした。この時代、乃木は自宅へは月に一、二度帰宅するだけで、それ以外の日は寮に入って生徒たちと寝食を共にした。

寮の談話室で、乃木は

山鹿素行と『中朝事実』

について、生徒たちに次のように語った。


「この本の著者は山鹿素行先生というて、わしの最も欽慕する先生じゃ。わしは少年時代、玉木文之進という恩師から山鹿先生を紹介せられ、爾来先生の思想、生活から絶大な感化指導を受け、わしが日本人としての天職を悟るに非常に役立つたというものじゃ」


乃木は『中朝事実』に真価について

 

「要はわが日本国本然の真価値、真骨髄をじゃな、よくよく体認具顕しその国民的大信念の上に日本精神飛躍の機運を醸成し、かくして新日本の将来を指導激励するということが、この本の大眼目をなしておるのじゃ」

 

と述べ、その序文については、次のように語っていた。


「人は愚かな者で幸福に馴れると幸福を忘れ、富貴に馴れると富貴を忘れるものじゃ。高潔なる国土、連綿たる皇統のもとに生を享けても、その国土、その大愛に狃れると自主独往すべき根本精神を忘却し、いたずらに付和雷同して卑屈な人間と堕する者が頻々として続出する。これが国家存立の一大危機というものじゃ」

 

「どうじゃな、ここの中華とは中朝と同じく日本国家の事じゃ。これは決して頑迷な国粋論を主張しているものではない。よきをとりあしきをすてて外国におとらぬ国となすよしもがな、
と御製にもある通り、広く知識を求め外国の美風良俗を輸入して学ぶことは国勢伸張の秘鍵ではあるが、それは勿論皇道日本の真価値を識り、その大精神を認識した上でのことでなければならぬのじゃ。盲滅法に外国人に盲従し西洋の糟を舐めて随喜し、いたずらに自国を卑下し罵倒するというのは、その一事すでに奴隷であって大国民たるの資格はない。国家興亡の岐路はそこにあるのじゃ。個人でも国家でも要は毅然たる独立大精神に生き、敢然と自主邁進するにある」

 

明治四十五年七月三十日、明治天皇崩御され、大正元年九月十三日に御大喪が行われることとなった。

殉死の二日前の九月十一日、乃木は午前七時に参内して皇太子(昭和天皇)と淳宮、光宮の三人が揃うのを待って、人ばらいをした。

そして

 

「私がふだん愛読しております書物を殿下に差上げたいと思いましてここに持って参りました。いまに御成長になったら、これをよくお読みになって頂きたい」

 

とお願いし、自ら写本したのが

 

『中朝事実』

 

だった。

南洲翁遺訓

第一ケ条

政府に入って、閣僚となり国政を司るのは天地自然の道を行なうものであるから、いささかでも、私利私欲を出してはならない。だから、どんな事があっても心を公平にして、正しい道を踏み、広く賢明な人を選んで、その職務に忠実に実行出来る人に政権を執らせる事こそ天意である。だから本当に賢明で適任だと認める人がいたら、すぐにでも自分の職を譲る程でなくてはならい。従ってどんなに国に功績があっても、その職務に不適任な人を官職に就ける事は良くない事の第一である。官職というものはその人をよく選んで授けるべきで、功績のある人には、俸給を多く与えて奨励するのが良いと南洲翁が申されるので、それでは尚書しょうしょ(中国の最も古い経典、書経しょきょう)仲虺ちゅうき(殷いんの湯王ゆおう (紀元前1600年前)の大臣)の誥こう(朝廷ちょうていが下す辞令書じれいしょ)の中に「徳の高いものには官位を与え、功績の多いものには褒賞ほうしょうを多くする」というのがありますが、この意味でしょうかと尋ねたところ、南洲翁は大変に喜ばれて、まったくその通りだと答えられた。

 

第二ケ条

 立派な政治家が、多くの役人達を一つにまとめ、政権が一つの体制にまとまらなければ、たとえ立派な人を用い、発言出来る場を開いて、多くの人の意見を取入れるにしても、どれを取り、どれを捨てるか、一定の方針が無く、仕事が雑になり成功するはずがないであろう。昨日出された命令が、今日またすぐに、変更になるというような事も、皆バラバラで一つにまとまる事がなく、政治を行う方向が一つに決まっていないからである。 

 

第三ケ条

政治の根本は国民の教育を高め充実して、国の自衛の為に軍備を整理強化し、食料の自給率、安定の為、農業を奨励するという三つである。その他の色々の事業は、皆この三つ政策を助ける為の手段である。この三つの物の中で、時の成り行きによってどれを先にし、どれを後にするかの順序はあろうが、この三つの政策を後回しにして、他の政策を先にするというようなことがあっては決してならない。

 

第四ケ条

国民の上に立つ者(政治、行政の責任者)は、いつも自分の心をつつしみ、品行を正しくし、偉そうな態度をしないで、贅沢をつつしみ節約をする事に努め、仕事に励んで一般国民の手本となり、一般国民がその仕事ぶりや、生活ぶりを気の毒に思う位にならなければ、政令はスムーズに行われないものである。ところが今、維新創業の初めというのに、立派な家を建て、立派な洋服を着て、きれいな妾をかこい、自分の財産を増やす事ばかりを考えるならば、維新の本当の目的を全うすることは出来ないであろう。今となって見ると戊辰(明治維新)の正義の戦いも、ひとえに私利私欲をこやす結果となり、国に対し、また戦死者に対して面目ない事だと言って、しきりに涙を流された。

 

第五ケ条

ある時『何度も何度も辛い事や苦しい事にあった後、志というものは始めて固く定まるものである。志を持った真の男子は玉となって砕けるとも、志をすてて瓦のようになって長生きすることを恥とせよ。自分は我家に残しておくべき訓があるが、人はそれを知っているであろうか。それは子孫の為に良い田を買わない、すなわち財産を残さないという事だ。』という七言絶句の漢詩を示されて、もしこの言葉に違うような事があったら、西郷は言う事と実行する事とが、反対であると言って見限っても良いと言われた。

 

第六ケ条
人材を採用する時、良く出来る人(君子)と普通(小人)の人との区別を厳しくし過ぎると、かえって問題を引起すものである。その理由は、この世が始まって以来、世の中で十人のうち七、八人までは小人であるから、よくこのような小人の長所をとり入れ、これをそれぞれの職業に用い、その才能や技芸を十分発揮させる事が重要である。藤田東湖先生(水戸藩士、尊王攘夷論者)が申されるには、「小人は才能と技芸があって使用するに便利であるから、ぜひ使用して仕事をさせなければならない。だからといって、これを上役にして、重要な職務につかせると、必ず国をひっくり返すような事になりかねないから、決して上役に立ててはならないものである。」と言われた。

 

第七ケ条 

どんな大きい事でも、小さい事でも、いつも正しい道をふみ、真心をつくし、一時の策略を用いてはならない。人は多くの場合、難しい事に出会うと、何か策略を使ってうまく事を運ぼうとするが、策略した為にそのツケが生じて、その事は必ず失敗するものである。正しい道を踏み行う事は、目の前では回り道をしているようであるが、先に行けばかえって成功は早いものである。

 
第八ケ条 

広く諸外国の制度を取り入れ、文明開化を押し進もうと思うならば、まず我が国の本体を良くわきまえ、風俗教化を正しくして、そして後、ゆっくりと諸外国の長所を取り入れるべきである。そうではなく、ただみだりに諸外国の真似をして、これを見習うならば、国体は弱体化して、風俗教化は乱れて、救いがたい状態になり、そしてついには外国に制せられる事になるであろう。

  

第九ケ条 

忠孝(よく君、国に仕え、親を大事にする事)仁愛(他人に対して恵み、いつくしむ心)教化(良い方に教え導くこと)は政治の基本であり、未来永遠に、宇宙、全世界になくてはならない大事な道である。道というものは天地自然の物であるから、たとえ西洋であっても同じで、決して区別はないものである。

 
第十ケ条

人間の知恵を開発、即ち教育の根本目的は愛国の心、忠孝の心を持つことである。
国の為に尽し、家のため働くという、人としての道理が明らかで有るならば、すべての事業は進歩するであろう。耳で聞いたり、目で見たりする分野を開発しようとして、電信を架け、鉄道を敷き、蒸気仕掛の機械を造って、人の目や耳を驚かすような事をするけれども、どういう訳で電信、鉄道が無くてはならないか、欠くことの出来ない物で有るかということに目を注がないで、みだりに外国の盛大なことをうらやみ、利害、損得を議論しないで、家の造り構えから、子供のオモチャまで一々外国の真似をし、身分不相応に贅沢をして財産を無駄使いするならば、国の力は衰退し、人の心は軽々しく流され、結局日本は破綻するより他ないではないか。

 

第十一ケ条

文明というのは道義、道徳に基づいて事が広く行われることを称える言葉であって、宮殿が大きく立派であったり、身にまとう着物が綺麗あったり、見かけが華やかであるいうことではない。世の中の人の言うところを聞いていると、何が文明なのか、何が野蛮なのか少しも解らない。自分はかってある人と議論した事がある。自分が西洋は野蛮だと言ったところ、その人はいや西洋は文明だと言い争う。いや、いや、野蛮だとたたみかけて言ったところ、なぜそれほどまでに野蛮だと申されるのかと強く言うので、もし西洋が本当に文明であったら開発途上の国に対しては、いつくしみ愛する心を基として、よくよく説明説得して、文明開化へと導くべきであるのに、そうではなく、開発途上の国に対するほど、むごく残忍なことをして、自分達の利益のみをはかるのは明らかに野蛮であると言ったところ、その人もさすがに口をつぼめて返答出来なかったと笑って話された。 

 
第十二ケ条

西洋の刑法はもっぱら、罪を再び繰り返さないようにする事を、根本の精神として、むごい扱いを避けて、人を善良に導く事を目的としており、だから獄中の罪人であっても緩やかに取り扱い、教訓となる書籍を与え、場合によっては親族や友人の面会も許すということである。もともと昔の聖人が、刑罰というものを設けられたのも、忠孝、仁愛の心から孤独な人の身上をあわれみ、そういう人が罪に陥るのを深く心配されたが、実際の場で今の西洋のように配慮が行き届いていたかどうかは書物には見あたらない。西洋のこのような点は誠に文明だとつくづく感ずることである。


第十三ケ条

税金を少なくして国民生活を豊かにすることこそ国力を高めることになる。
だから国の事業が多く、財政の不足で苦しむような事があっても決まった制度をしっかり守り、政府や上層の人達が損をしても、下層の人達を、苦しめてはならない。昔からの歴史をよく見るがよい。道理の明らかに行われない世の中にあって、財政の不足で苦しむときは、必ずこざかしい考えの小役人を用いて、その場しのぎをする人を財政が良く分かる立派な役人と認め、そういう小役人は手段を選ばず、無理やり国民から税金を取り立てるから、人々は苦しみ、堪えかねて税の不当な取りたてから逃れようと、自然に嘘いつわりを言って、お互いに騙し合い、役人と一般国民が敵対して、終には、国が分裂して崩壊するようになっているではないか。

 

第十四ケ条

会計出納(金の出し入れ)は、すべての制度の基本であって、あらゆる事業はこれによって成り立ち、秩序ある国家を創る上で最重要事であるから、慎重にしなければならない。その方法を申すならば、収入の範囲内で、支出を押えるという以外に手段はない。総ての収入の範囲で事業を制限して、会計の総責任者は一身をかけてこの制度を守り、定められた予算を超えててはならない。そうでなくして時勢にまかせ、制限を緩かにして、支出を優先して考え、それに合わせ収入を計算すれば、結局国民から重税を徴収するほか方法はなくなるであろう。もしそうなれば、たとえ事業は一時的に進むように見えても国力が疲弊して、ついには救い難い事になるであろう。

 
第十五ケ条 

常備する軍隊の人数も、また会計予算の中で対処すべきで、決して無限に軍備を増やして、から威張りをしてはならない。兵士の気力を奮い立たせて優れた軍隊を創りあげれば、たとえ兵隊の数は少くても、外国との折衝にあたってあなどりを受けるような事は無いであろう。

 

第十六ケ条

道義を守り、恥を知る心を失うようなことがあれば国家を維持することは決して出来ない。西洋各国でも皆同じである。上に立つ者が下の者に対して利益のみを争い求め、正しい道を忘れるとき、下の者もまたこれに習うようになって、人の心は皆財欲にはしり、卑しくケチな心が日に日に増し、道義を守り、恥を知る心を失って親子兄弟の間も財産を争い互いに敵視するのである。このようになったら何をもって国を維持することが出来ようか。徳川氏は将兵の勇猛な心を抑えて世の中を治めたが、今は昔の戦国時代の武士よりもなお一層勇猛心を奮い起さなければ、世界のあらゆる国々と対峙することは出来無いであろう。普、仏戦争のとき、フランスが三十万の兵と三ケ月の食糧が在ったにもかかわらず降伏したのは、余り金銭のソロバン勘定に詳しかったが為であるといって笑われた。

 

第十七ケ条

正しい道を踏み、国を賭けて、倒れてもやるという精神が無いと外国との交際はこれを全うすることは出来ない。外国の強大なことに萎縮し、ただ円満にことを納める事を主として、自国の真意を曲げてまで、外国の言うままに従う事は、軽蔑を受け、親しい交わりをするつもりがかえって破れ、しまいには外国に制圧されるに至るであろう。

 
第十八ケ条

話が国の事に及んだとき、大変に嘆いて言われるには、国が外国からはずかしめを受けるような事があったら、たとえ国が倒れようとも、正しい道を踏んで道義を尽くすのは政府の努めである。しかるに、ふだん金銭、穀物、財政のことを議論するのを聞いていると、何という英雄豪傑かと思われるようであるが、実際に血の出ることに臨むと頭を一カ所に集め、ただ目の前のきやすめだけを謀るばかりである。戦の一字を恐れ、政府の任務をおとすような事があったら、商法支配所、と言うようなもので政府ではないというべきである。 

 

第十九ケ条

昔から、主君と臣下が共に自分は完全だと思って政治を行った世にうまく治まった時代はない。自分はまだ足りない処がある、と考える処から始めて、下々の言うことも聞き入れるものである。自分が完全だと思っているとき、人が自分の欠点を正すと、すぐ怒るから、賢人や君子というような立派な人は、おごり高ぶっている者に対しては決して味方はしないものである。

 

第二十ケ条

どんなに制度や方法を論議しても、それを行なう人が立派な人でなければ、うまく行われないだろう。立派な人あって始めて色々な方法は行われるものだから、人こそ第一の宝であって、自分がそういう立派な人物になるよう心掛けるのが何より大事な事である。

 

第二十一ケ条

道というものは、天地自然の道理であるから、学問の道は『敬天愛人』を目的とし、自分を修には、己れに克つという事を心がけねばならない。己れに克つという事の真の目的は「意なし、必なし、固なし、我なし」我がままをしない。無理押しをしない。固執しない。我を通さない。という事だ。一般的に人は自分に克つ事によって成功し、自分を愛する(自分本位に考える)事によって失敗するものだ。よく昔からの歴史上の人物をみるが良い。事業を始める人が、その事業の七、八割までは大抵良く出来るが、残りの二、三割を終りまで成しとげる人の少いのは、始めはよく自分を謹んで事を慎重にするから成功し有名にもなる。ところが、成功して有名になるに従っていつのまにか自分を愛する心がおこり、畏れ慎むという精神がゆるんで、おごり高ぶる気分が多くなり、その成し得た仕事を見て何でも出来るという過信のもとに、まずい仕事をするようになり、ついに失敗するものである。これらはすべて自分が招いた結果である。だから、常に自分にうち克って、人が見ていない時も、聞いていない時も、自分を慎み戒めることが大事な事だ。

 

第二十二ケ条

自分に克つと言う事は、その時、その場の、いわゆる場あたりに克とうとするから、なかなかうまくいかぬものである。かねて精神を奮い起こして自分に克つ修行をしていなくてはいけない。

 

第二十三ケ条

学問を志す者はその規模、理想を大きくしなければならない。
しかし、ただその事のみに片寄ってしまうと、身を修める事がおろそかになってゆくから、常に自分にうち克って修養することが大事である。規模、理想を大きくして自分にうち克つことに努めよ。男子は、人を自分の心の中に呑みこむ位の寛容が必要で、人に呑まれてはだめであると思えよと言われて、昔の人の詞を書いて与えられた。

 その志を、おし広めようとする者にとって、もっとも憂えるべき事は自己の事をのみ図り。

けちで低俗な生活に安んじ、昔の人を手本となして自分からそうなろうと修業をしようとしないことだ。

古人を期するというのはどういうことですかと尋ねたところ、尭・舜(共に古代中国の偉大な帝王)を以って手本とし、孔子(中国第一の聖人)を教師として勉強せよと教えられた。

 
第二十四ケ条

道というの天地自然のものであり、人は之にのっとって生きるべきものであるから何よりもまず、天を敬う事を目的とすべきである。天は他人も自分も平等に愛し下さるから、自分を愛する心をもって人を愛する事が大事である。

 
第二十五ケ条

人を相手にしないで、天を相手にするようにせよ。天を相手にして自分の誠をつくし、人の非をとがめるような事をせず、自分の真心の足らない事を反省せよ。 

 
第二十六ケ条

自分を愛すること(即ち自分さえよければ良い)というような心はもっとも善くない事である。修業の出来ないのも、事業の成功しないのも、過ちを改める事の出来ないのも、自分の功績を誇り、驕りたかぶるのも、皆自分を愛することから生ずることで、決して自分だけを愛するようなことはしてはならない。

 
第二十七ケ条

過ちを改めるに、自分から過ったとさえ思いついたら、それで良い。その事をさっぱり捨てて、ただちに一歩前進するべし。過ちを悔しく思って、あれこれと取りつくろおうと心配するのは、たとえば茶わんを割って、その欠けらを集めて、合わせて見るのも同様で何の役にも立たぬ事である。

 

第二十八ケ条

道を行う事に、身分の尊いとか、卑しいとかの区別は無いものである。要するに昔のことを言えば、古代中国の尭・舜(共に古代中国の偉大な帝王)は国王として国の政治を行っていたが、もともとその職業は教師であった。孔子(中国第一の聖人)は魯の国を始め、どこの国にも政治家として用いられず、何度も困難な苦しいめに遭い、身分の低いままに一生を終えられたが、三千人といわれるその子弟は、皆その教えに従って道を行ったのである。

 

第二十九ケ条

正しい道を進もうとする者は、もともと困難な事に会うものだから、どんな苦しい場面に立っても、その事が成功するか失敗するかという事や、自分が生きるか死ぬかというような事に少しもこだわってはならない。事を行なうには、上手下手があり、物によっては良く出来る人、良く出来ない人もあるので、自然と道を行うことに疑いをもって動揺する人もあろうが、人は道を行わねばならぬものだから、道を踏むという点では上手下手もなく、出来ない人もない。
だから精一杯道を行い、道を楽しみ、もし困難な事にあってこれを乗り切ろうと思うならば、いよいよ道を行い、道を楽しむような、境地にならなければならぬ。


自分は若い時代から、困難という困難にあって来たので、今はどんな事に出会っても心が動揺するような事は無いだろう。それだけは実に幸だ。

 
第三十ケ条

命もいらぬ、名もいらぬ、官位もいらぬ、金もいらぬ、というような人は始末に困るものである。

このような始末に困る人でなければ、困難を共にして、一緒に国家の大きな仕事を大成する事は出来ない。しかしながら、このような人は一般の人の眼では見ぬく事が出来ない、と言われるので、それでは孟子(古い中国の聖人)の書に

『人は天下の広々とした所におり、天下の正しい位置に立って、天下の正しい道を行うものだ。もし、志を得て用いられたら一般国民と共にその道を行い、もし志を得ないで用いられないときは、独りで道を行えばよい。
そういう人はどんな富や身分もこれをおかす事は出来ないし、貧しく卑しい事もこれによって心が挫ける事はない。また力をもって、これを屈服させようとしても決してそれは出来ない』

 

と言っておるのは、今、仰せられたような人物の事ですかと尋ねたら、いかにもそのとおりで、真に道を行う人でなければ、そのような精神は得難い事だと答えられた。

 
第三十一ヶ条

正しい道を生きてゆく者は、国中の人が寄って、たかって、悪く言われるような事があっても、決して不満を言わず、また、国中の人がこぞって褒めても、決して自分に満足しないのは、自分を深く信じているからである。
そのような人物になる方法は、韓文はんぶん公こう(韓退之かんたいし、唐とうの文章家ぶんしょうか)の「伯夷はくいの頌しょう」(伯夷はくい、叔斉しゅくさい兄弟きょうだいの節せつを守まもって餓死がししたことを褒め称えた文ぶんの一章いっしょう)をよく読よんでしっかり身に付けるべきである。

 

第三十二ヶ条

正しく道義を踏みおこなおうとする者は、偉大な事業を尊ばないものである。
司馬温公(中国北宋の学者)は寝室の中で妻と密かに語ったことも他人に対して言えないような事は無いと言われた。独りを慎むと言う事の真意は如何なるものであるかわかるでしょう。人をあっと言わせるような事をして、その一時だけ良い気分になることを好むのは、まだまだ未熟な人のする事で、十分反省すべきである。

 

第三十三ヶ条

かねて道義を踏み行わない人は、ある事柄に出会うと、あわてふためき、なにをして良いか判らぬものである。たとえば、近所に火事があった場合、かねて心構えの出来ている人は少しも動揺する事なく、これに対処することが出来る。しかし、かねて心構えの出来ていない人は、ただ狼狽して、なにをして良いか判らず的確に対処する事が出来ない。それと同じ事で、かねて道義を踏み行っている人でなければ、ある事柄に出会った時、立派な対策はできない。私が先年戦いに出たある日のこと、兵士に向かって、自分達の防備が十分であるかどうか、ただ味方の目ばかりで見ないで、敵の心になって一つ突いて見よ、それこそ第一の防備であると説いて聞かせたと言われた。

 

第三十四ヶ条 

策略(はかりごと)は普段は用いてはならない方が良い。
策略をもって行なった事は、その結果を見れば良くない事がはっきりしていて、必ず判るものである。ただ戦争の場合だけは、策略が無ければいけない。しかし、かねて策略をやっていると、いざ戦いという事になった時、上手な策略は決して出来るものではない。諸葛孔明(古代中国の宰相)はかねて策略をしなかったから、いざという時、あのように思いもよらない策略を行うことが出来たのだ。自分はかつて東京を引揚げたとき、弟(従道)に向かって

『自分はこれまで少しも、謀ごとを、やった事が無いので、ここを引揚げた後も、跡は少しも濁ることはあるまい。それだけはよく見ておけ』

と言っておいたという事である。

 

第三十五ヶ条

人をごまかして、陰でこそこそと策略する者は、たとえその事が上手に出来あがろうとも、物事をよく見抜く人がこれを見れば、醜い事がすぐ分かる。人に対しては常に公平で真心をもって接するのが良い。公平でなければ英雄の心を掴む事は出来ないものだ。

 

第三十六ヶ条

聖人せいじん賢者けんじゃになろうとする気持ちがなく、昔の人が行なった史実をみて、自分にはとてもまねる事が出来ないと思うような気持ちであったら、戦いに臨んで逃げるより、なお卑怯なことだ。朱子しゅし(昔むかしの中国ちゅうごく南宋なんそうの学者がくしゃ)は抜いた刀を見て逃げる者はどうしようもないと言われた。誠意をもって聖人せいじん賢者けんじゃの書を読み、その一生をかけて培われた精神を、心身に体験するような修業をしないで、ただこのような言葉を言われ、このような事業をされたという事を知るばかりでは何の役にも立たぬ。私は今、人の言う事を聞くに、何程もっともらしく論じようとも、その行いに精神が行き渡らず、ただ口先だけの事であったら少しも感心しない。本当にその行いの出来た人を見れば、実に立派だと感じるのである。聖人せいじん賢者けんじゃの書をただ上辺だけ読むのであったら、ちょうど他人の剣術を傍から見るのと同じで、少しも自分の身に付かない。自分の身に付かなければ、万一『刀を持って立ち会え』と言われた時、逃げるよりほかないであろう。

 

第三十七ヶ条

未来みらい永劫えいごうまでも信じて心から従う事が出来るのは、ただ一つの真心だけである。昔から父の仇を討った人は数えきれないほど大勢いるが、その中でひとり曽我兄弟きょうだいだけが、今の世に至るまで女子子供でも知らない人のないくらい有名なのは、多くの人にぬきんでて真心が深いからである。真心がなくて世の中の人から誉められるのは偶然の幸運に過ぎない。真心が深いと、たとえその当時、知る人がなくても後の世に必ず心の友が出来るものである。

 

第三十八ヶ条

世の中の人の言うチャンスとは、多くはたまたま得た偶然の幸せの事を指している。しかし、本当のチャンスというのは道理を尽くして行い、時の勢いをよく見きわめて動くという場合のことだ。つね日頃、国や世の中のことを憂える真心がなくて、ただ時のはずみにのって成功した事業は、決して長続きしないものである。 

 

第三十九ヶ条

今の人は、才能や知識だけあれば、どんな事業でも思うままに出来ると思っているが、才能に任せてする事は、危なかしくて見てはおられないものだ。しっかりした内容があってこそ物事は立派に行われるものだ。肥後の長岡先生(長岡監物、熊本藩家老、勤皇家)のような立派な人物は、今は見る事が出来ないようになったといって嘆かれ、昔の言葉を書いて与えられた。

 

『世の中のことは真心がない限り動かす事は出来ない。才能と識見がない限り治める事は出来ない。真心に撤するとその動きも速い。才識があまねく行渡っていると、その治めるところも広い。才識と真心と一緒になった時、すべての事は立派に出来あがるであろう』

 
第四十ヶ条

南洲翁に従って犬を連れて兎うさぎを追い、山や谷を歩いて一日中狩り暮らし、田舎の宿で風呂に入って、身も心も、きわめて爽快そうかいになったとき、悠々ゆうゆうとして言われるには『君子の心はいつもこのように爽さわやかなものであろうと思う』と。

 
第四十一ヶ条

修行して心を正して、君子の心身を備えても、事にあたってその処理の出来ない人は、ちょうど木で作った人形と同じ事である。たとえば数十人のお客が突然おしかけて来た場合、どんなに接待しようと思っても、食器や道具の準備が出来ていなければ、ただおろおろと心配するだけで、接待のしようもないであろう。いつも道具の準備があれば、たとえ何人であろうとも、数に応じて接待する事が出来るのである。だから、普段の準備が何よりも大事な事であると古語を書いて下さった。

 

『学問というものはただ文筆の業のことをいうのではない。
必ず事に当ってこれをさばくことのできる才能のある事である。武道というものは剣や楯をうまく使いこなす事を言うのでは無い。必ず敵を知ってこれに処する知恵のある事である。才能と知恵のあるところはただ一つである』

 

 

 

宮本武蔵 五輪書(空の巻)

 二刀一流の兵法の道を空の巻として書きあらわす。空というものは、見ようとして見えないもので、心と体にいっぱいに満たした状態が空である。もちろん、空とはないということである。存在が見えない。世間一般においては、悪い言い方をすれば、物をわきまえていないことを空であると誤解している。それは本当の空ではない。この兵法の道においても、武士の兵法を理解していないので、空の状態にはなっていないのに、いろいろと迷い、どうしていいのか分からなくなり、空虚になってしまっている状態を空と誤解しがちであるけれども、これは真の空ではない。武士は兵法の道を確かに覚え、その他の武芸をよく理解し、武士のおこなう道がはっきり理解出来ていて、心が迷わない状態で、日々を怠らずに鍛錬し、心、意の2つの心を磨き、観、見の目を研ぎ、少しもくもりがなく、迷いの雲が晴れている状態こそ真の空と思うべきである。


実の道を知らずにいるのは、仏法によらず、世間の法によらず、自分で正しい道と思っていて、いいことだと思っているけれども、本当の道から考えると、世の中の大きなほんものの尺度に合わせてみると、贔屓目であったり、歪んでいたりで、正しい道から外れているのである。この道理をよくわきまえて、まっすぐなところに基本を置き、実の心を道として、兵法の道を広く行い、ただしく、明らかに、物事を大きく捉え、空の境地に到達し、道は空に成る事だと見極める。


空には、善があり惡無し 智があり、理があり、道が有り、(真)心の根本は空也

宮本武蔵 五輪書(風の巻)

 

兵法の道では、他流の道を知ることが大切と考えて、他流のさまざまな兵法をここに書付け、『風の巻』としてこの巻を表した。他流の道を知らなくては、一流の道を的確に表現することは出来ない。大きな太刀を使い、道場で強いということだけをその兵法の売りにしてはならない。、ある流派は短い太刀を使って剣法に専念する。あるいは多くの太刀筋を使い分けて、太刀の構えを表だ、奥だと称して道を伝える流派もある。
これらがのすべてが正しい道でないことを、この巻の中にはっきり書き表し、兵法の善悪理非をはっきりさせる。一流の兵法は彼らとは全く違ったものである。
他流の人々は武芸の道を生計の手段とし、華やかな技巧を飾って、道場で売りものに仕立てているのであって、全く兵法の正しい道からは外れたものである。また世間の兵法の発展を剣術だけに小さく限定してしまい、太刀を振る訓練をし、強い身のこなしを憶え、時間をかけているようだが、いずれも真の兵法のみちでない。
ここに他の流派の欠点をいちいち書き表しておくので、よくよく吟味してわが二刀一流の道理を学んでもらいたい。

 

一 他流に大なる太刀を持つ事
他流に大きな太刀を好むものがある。我が一流の兵法から見れば、この流派を弱者の兵法とみる。その理由は、他の流儀では敵に勝つ道理を云わず、手段に偏って勝つ方法を云い、太刀の長さを長所として、敵の太刀の届かぬところから勝ちを得ようとするので、長い太刀を好むからである。世間で”一寸、勝り”とを言っているのは兵法を知らぬ者の言い分にすぎない。そうであるから兵法の道理を会得していなくって、太刀の長さによって遠いところから勝ちを得ようとするのは、心の弱さのためであって、これをを弱者の兵法と見立てたのである。
もし敵と近づいて互いに組み会うほどのときは、太刀が長いほど打つことができず、太刀を自由に振り回すこともできず、太刀やっかいとなって、短い脇差を振るよりも劣るものである。オールマイティじゃない。長い太刀の流派にはその言い分はあろうが、それは独り善がりのへ理屈にすぎない。正しい道よりみれば道理のないことである。もし長い太刀を持たないで、短い太刀を使うときには必ず負けざるを得ないであろう。
また戦いの場所により、上下左右などに空間がないときや、また脇差だけが使える場合においても、長い太刀に執着していると兵法に対する不信感に発展していき、兵法自体の発展にも悪い。人によって、力が弱く長い太刀をを使えないものもある。昔から大は小兼ねるといわれており、むやみに長い太刀の嫌うのではない。ただ長い太刀にばかり執着する心を嫌うのである。
多人数の戦いにあてはめた場合、長い太刀は多くの人数に相当し、短い太刀は小人数にあたる。小人数と大人数と闘うことはできないであろうか。小人数で多人数に勝った例はいくらもある。我が流においては、狭い考えを嫌うのである。よくよく吟味しなければならない。

 

一 他流において強みの太刀と云ふ事
太刀において、強い太刀に弱い太刀ということはあるはずがない。強い気持ちで振る太刀は粗雑なものとなる。粗雑な太刀だけでは勝ちを得るのは難しいものである。また強い太刀だと言っても人切るとき、強く切ろうとするばかりでは、かえって切れないものである。試し切りの場合にも強く切ろうとするのはよくない。だれでも敵と切り合うとき弱く切ろう、強く切ろうとか考えるものではない。ただ、人を切り殺そうと思うときは、強くきろうとも思わず、もちろん、弱く切ろうとも思わない。敵を殺す程と思うだけである。また力を込めた太刀で、相手の太刀を強く打てば、体制が崩れ悪い結果が生じるものである。相手の太刀に強く当たれば、我が太刀もそのために折れてしまうものである。そういうわけであるから、強く振る太刀ということはありえないのである。多人数の戦いにあてはめてみれば、強力な軍勢を
持ち、戦いに力強く勝とうとすれば、敵も当然強力な兵卒をそろえて、激しい戦いをしようとするので、これはどちらも同じである。戦いに勝つことは正しい道理なしには勝つことはできない。我が一流の兵法の道おいては、無理なことは少しも思わず、兵法の智力によって、どのようにも勝ちを得るということをよくよく工夫せよ。

一 他流に短き太刀を用ゆる事
短い太刀で勝とうとするのは正しい道ではない。昔から太刀、小刀と分けて、長い、短いをいい表している。一般に力の強いものは大きな刀も軽く振ることができるので、わざわざ短い太刀を用いる必要はないのである。そのわけは長さの利点を活用して槍やなぎなたを使うものだからである。
短い太刀を特に愛用するものは、敵が振るう太刀の間を、隙につけ入ろうと思うのであり、このように心が偏ったのはよくない。また敵の好きな様になってばかりいると、すべてが後手となり、敵ともつれ合うことになってよくない。さらにまた、短い太刀によって敵の中へ入り込み1本とろうとするやり方では、(道場で1本取れるが)大敵の中では通用しないものである。
短い太刀ばかりを用いたものは多くの敵に対して、切り払おう、自由に飛び回ろうと思っても、すべてが受け太刀となり、敵とからみあってしまって、確実な兵法の正しい道ではない。同じことならば、わが身は強くまっすぐな状態にして、敵を追い回し、飛び跳ねさせ、うろたえさせるように仕掛けて、確実に勝利を得ることが道である。
多人数の戦いにあっても同じ道理である。同じことならば、大軍勢でいきなり敵に攻め込み、即座にせん滅することが兵法の道である。世間の人々が、兵法を習うのに、常日頃から受ける、交わす、くぐるなどのことばかりで習っていると、潜在的な心に引きずられて、後手に回り、敵に追い回されてしまうものである。兵法の道は正しく、まっすぐなものであるから、正しい道理を以って敵を追いまわし、相手を従えていくことが大切である。よくよく吟味せよ。

 

一 他流に太刀かず多き事
他流において、数多くの太刀の使い方を人に伝えていることは、兵法を売り物に仕立てて、太刀の使い方をいろいろ知っていることを、初心者に感心させるためであろう。これは兵法で最も嫌うべきことである。
その理由は、人を切るのにいろいろの方法があると考えるのが誤りだからである。人を切るということに変わりはない。兵法知るもの知らないもの、女子供であっても、敵を切るということに多くのやり方があるわけではない。切るということ以外には、突く、薙ぐことがあるだけである。とにかく敵を切ることが兵法の道であれば、そのほかに多くの使い方があるべきはずはない。しかしながらその場所や事情によって、例えば上や脇がつまっているところでは、太刀がツカエない様に持つから、太刀の持ち方には五方といって、五種類はあるはずである。それ以外に付け加えて、手を捻るとか、身を捻り、飛びひらき、敵を切ることは正しい兵法の道ではない。敵を切るのに、ひねったり、飛んだり、開いたりして切れるものではない、全く役に立たないことである。
わが兵法にあっては身も心もまっすぐにして、敵をひるませ、ゆがめて、平静さを失ったところで勝つ、このように思う事が肝心なのである。よくよく吟味せよ。(小技は決定的チャンスを掴むまでの便法で,失敗の可能性もあり、合戦では応用できない。)

 

一 他流に太刀の構を用ゆる事
太刀の構え方に重点を置くのは誤った考え方である。世間一般には構えをするということは敵がいない場合のことであろう。そのわけは昔からの先例や、今の時代の方法はなどと法則性をつくることは、勝負の道にはあり得ない。相手に具合が悪いように仕込むことなのである。物事の構えというのは、動遥しない体制をとるための用心なのである。城ををかまえたり、陣をかまえたりすることは、人に仕掛けられても、少しも動遥しない状態をいい表しているのであるが、これは平常のことである。ところが兵法の勝負の道では、何事も先手先手を心掛けることである。これに反して構えるということは、先手を待っている状態である。よくよく工夫せよ。
兵法の勝負の道では、、相手の構えを揺させ、おびやかし、敵をうろたえさせ、敵が混乱して拍子が狂っているところに乗じて勝つのであるから、構えなどという後手の態度を嫌うのである。従ってわが兵法においては、有構無構すなわち構えがあって構えがないというのである。
多人数の戦いの場合にも、敵の兵数に多少を知って、戦場の状態を見極め、我が人数の程度ははかり、その長所を生かして人数を決め、戦いを始めることが合戦に最も重要なことである。人に先手を仕掛けられたときと、自分から仕掛けたときには戦いの有利さは倍も違う。太刀をよく構え、敵の太刀をよく受けよく、弾いたと思っても、所詮受け身というものは、槍や薙刀のような長いものを持っていても、防御にこしらえた柵が槍長太刀を跳ね返しているのと同じことで、本当に敵を打つことはできない。どちらにしても、結果的に負けるなら槍薙刀の代わりに柵木を武器にしても同じである。よく吟味すべきである

 

一 他流に目付といふ事
他流では目付といって、それぞれの流儀により、敵の太刀に見を付けるものと、手に目をつけるもの、また、顔、足などに目をつけるものがある。このように特別に目付けを強調すると、それに惑わされて、兵法の迷いとなるものである。その訳は例えば、鞠蹴る人は鞠に目をつけていないのに、自在に蹴る。ものに習熟するということによって、確かに目でものを追う必要はない。また曲芸などをするものの技にも其の道に習熟すれば、戸板を鼻の上に立てたり、刀をいくらでも手玉に取る、これも皆確かに目をつけることなのだけれども、いつも手慣れているから自然によく見える。兵法においてもその時々の敵との戦いに熟れ、人の技量が解り、兵法の道をを体得できれば、太刀の遠近遅速までもすべて見えるものである。目のつけどころは、相手の心に付いた目で、心眼を働らかせねばならないのである。であるから
我が一流においては、観、見の二通りの目付けがある。観の目を強くして敵の心を見、その場の位を見、大きく目つけてして、その戦いの流れを見て、正しくを勝つことに専心しなければならない。多人数の戦いにおいて、小さいいいところに目をつけてはならない。前にも書いたように、細く小さく目をつけることは、大きな目的を見失い、迷う心が出来て、勝つことを逃すものである。この道理をよくよく吟味して鍛錬すべきである。

一 他流に足つかひ有事
足の踏み方に浮き足、飛び足、はね足、踏みつける足、からす足などと言っていろいろとある。これらはわが兵法から見ればすべて不十分と思われる。浮き足を嫌う理由は、戦いになれば必ず足は浮くようになるので、しっかりと確実に足を踏むことが大切である。また飛び足もよくないのは、飛びあがるとそれによって、次の動作が自由を失うからである。幾度も飛ぶ必要はないのだから、飛び足はよくないのである。また、はねるという気持ちがあってはうまく行かないものである。踏みつける足は待ちの足で特に嫌う、敵に先手を取られる。その他にからす足などと、いろんな速い足遣いがある。また沼、深田、山、川、石原、細道などでも闘う場合が在るから、その場所によって飛び跳ねることができない。平常心のときの姿勢で足らず、あまらず、足が乱れのないようにすべきだ。多人数の戦いにあっても、足の運びが肝要である。敵の意図や手段が理解できないまま、やたらに早くかかれば拍子が狂って、勝ちがたいものである。敵にうろたえがあって、崩れ目が見えるのに、早く勝負をつけることができなくなるのである。敵がうろたえ,崩れる状況をよく見わけて、少しも敵に余裕を与えないようにして勝つことが肝心である。よくよく鍛錬せよ。

 

一 他の兵法に早きを用ゆること
兵法で、さばきが素早いというのは本筋ではない。素早いということは、物事にある拍子のリズムに合わせるもので、速いリズム、遅いリズムといろいろあり、上級者のリズムは早いようには見えないえないものだ。例えば、朝から暮れまでで160キロから200キロと、早く歩く人もある。要領の悪い人は1日中急ぎ続けてもハカがいかず、くたびれ儲けになる。踊り上手に合わせるのに、謡が下手ならば遅れるのを恐
れて、忙しいリズムになる。またツツミ太鼓で老松を打つと静寂感が漂うものだが、下手はこれにも遅れる。高砂は急テンポのリズムだが、早すぎるとよくない。”こける”と言って間が外れる、もちろん遅れてはよくない。とにかく上手のすることはゆっくり見えて、間が飛んだりしない。何事も慣れた、上手のをすることは、忙しくは見えない。鍛錬して、道の理を知れ。特に兵法の道で早すぎるリズムはよくない。沼、深田では、足も、体も動かしにくいので、太刀筋はもっと動かしにくい。早く切ろうと焦ると、扇や小刀のような小ぶりなものならともかく、着実に切ろうとしても切れない、よく考慮せよ。多人数の戦いにしても、早く早くと急ぐう気持ちはよくない。”枕を押さえる”を思い出し、それくらいの気持ちで丁度良い。無駄で無分別の行動はしないで、冷静になり、人に動かされないことが肝要である。この心を工夫し鍛錬するべきである。

 

一 他流に奥表と云う事
兵法のことにおいて、いずれを表といい、何を奥ということができようか。芸によっては時折、極意秘伝などと言って、奥義に通ずる入り口があるけれども、いざ敵と討ち合うときになれば、表で戦い奥で人で切るなどというものではない。わが兵法を人に教える場合には、初めて兵法を習うなう人には、その人の技量に応じて、早く出来そうなところからまず習わせ、早く理解できるような道理などを教え、理解しがたい道理については、その人の理解の進んでいったところ頃合いに従って、次第に深い道理をの後に教えていくように心がけている。しかしながら大抵は実際に敵と打ち合うときの道理を通して理解させているのであるから、奥義に通じる入り口ということはないのである。例えば世間一般に山の奥へ行こうとしてもっと奥へ行こうと思えばかえって、入り口に出てしまうものである。何事の道であっても奥義が役に立つこともあり、また表を使って有効なこともある。この兵法の道にあっては、何をかくして、何を公にするか、などあるであろうか。従ってわが流儀を伝えるには誓詞やは罰文などというものは用いない。この兵法を学ぶ人の智力を見て正しい道を教え、兵法を学ぶうちに身につくさまざまな欠点を除き、自然に武士の道の正しいあり方を悟らせて、動揺しない心にすることがわが兵法の人に教える道であるよくよく鍛錬しなければならぬ。

右は他流の兵法を九カ条として風の巻としてあらまし書き表した。一流一流について、入り口より奥義までを詳しく書きが表さなければならないが、わざと何々の何の極意といった名を記すことはしなかった。そのわけは、それぞれの流派による理論は、その人、各自の考えがあるから、同じ流儀の中でも多少は見解の違いがあるものであるから、後々までのためにどの流派の太刀筋ということは書かなかったのである。そこで他流の大体を九つに分けてみたのである。世間の正しい道理からすれば、長い太刀に偏り、あるいは短い太刀こそ良しとし、強弱のみにこだわり、大まかなことも、また細かなこともすべて偏った道であることが、他流の入り口や奥義のことを書かなくともすべて解るはずであろう。我が一流の兵法にあっては太刀の使い方に初心も奥義もない。極意の構えなどということもない。ただ心の正しい動きによって兵法の特長をわきまえることが最も肝心なのである

宮本武蔵 五輪書(火の巻)

 

 二天一流の兵法におい、戦いのことを火の勢いに見立てて、勝負に関することを火の巻として、この巻に書きあらわすものである。世に兵法と呼ばれるものをだれもかれももが矮小化し、指先の力加減、手首の動きなどを。あるいは扇を持って、ひじから先の小器用さを述べ、また竹刀などでわずかなスピード技を述べ、手や足の動きを練習し、小器用さだけ得ようとしている。わが兵法にあっては、数度の勝負に命をかけて打ち合い、死ぬか生きるかの兵法を実戦した。刀の道筋をおぼえ、敵の打つ太刀の強弱を知り、太刀筋をわきまえ、敵を倒す鍛錬を覚えようというのに、このような小手先だけの、小さな、弱々しい技では問題にならない。特に六具に身をを固めた実戦の場などで、小手先によることなど考えることもできない。さらに命がけの戦いで、1人で5人、10人とも戦い、確実に勝利するのが我が道である。 従がって1人で10人に勝つことも、1,000人で万人に勝つことも何ら違いはないのが道理である。よくよく調べなければならない。しかしながら、普段の稽古で、1,000人も万人も集めて訓練をすることはできない。例えひとりで太刀をとっても、その時その時の敵の計り事を見抜き、敵の強弱や勝機への手だてを知り、兵法の智恵の力を以って万人に勝つところを極めた後、この道の達人たり得るのである。兵法の正しい道を、自分が極めようとしっかり決意し、朝に鍛、夕に錬、技を磨き尽くした後に、人は自在自然に奇特な力を得、自由自在の神秘な力を持つことができるようになるのである。これが兵法を行う神髄である。


一 場の次第と云ふ事

 場の位置を見極める。陽を後ろに背負って構えるのだ。陽を後ろにする事ができないときは、右の脇へ陽を持ってくる。座敷においても、明かりを後ろに、右脇に。自分の後ろの場がつまらないように。夜なども、敵の見える場においては、火を後ろに負ひ、または明かりを右わきにすること。敵を見下ろす、少しでも高いところに構える心を。座敷では上座が高きところ思うべし。 さて、戦いになって、敵を追い回すこと、自分の左の方へ 追い回す。難所を敵の後ろに、とにかく敵を難所追いやることが肝心である。 難所で敵に場を見せず、伺わせず油断なくせり込む。 座敷においても、敷居、鴨居、障子、縁、柱なども同様、いずれも適を追い回す。足場の悪い方へ。または、脇に構造物のあるところへ。いずれも場を利用し。場の利に勝ちを抑えることが肝心。よくよく吟味し鍛錬あるべきである。 兵法の道を鍛錬する者は、平常心の時から、座敷に居ても構造物の利や、位置の利を考え、野山に出ても、山の地の利を考え、川でも、沼でも、いつも地の利を考える心構えが肝要である。 一 三つの先と云ふ事(先手)

 三つの先、一つは我が方より敵へ掛る時の先手、之を『懸の先』と云ふなり。又一つは敵より我方にかゝる時の先手、是は『たいの先』と云ふなり。又一つは我もかゝり敵もかゝり合う時の先手、『対々の先』と云ふ是三つの先なり。何れの戦いの初めにも此三つの先より外はなし。先の状況により勝つ事を得るものなれば、『先』と云ふ事兵法の第一なり。先の状況の仔細は様々あるが、ケースバイケースで論理的に分析し利を生かし、敵の心を見、我兵法の智恵を以て勝つ事なれば、細やかに書き分ける事ではない。第一『懸の先』は、我かゝらんと思ふ時、静にして時をはかり、俄かに早くかゝるのが『先』である。身体の上を強く早くし、底をのこす気持ちでやる『先』、又我心の思いを強くして、しかも、足は常の足より少し早い程度で、敵のわきへ寄ると、早く揉(もむ)み立つる『先』、又心も敵に照準を合わせて、初、中、後、同じ事に敵を挫(くじく)ぐ心にて、こころの底までつよき心に勝を考え、標準をぶち抜く、是れ何れも懸の先なり。第二待(対)の先、敵が我方へかゝりくる時、感知出来ていず弱きやうに見せて、敵がちかくなって、つんと強くはなれて飛つくやうに見せて(狼狽を装い)、敵のたるみを見て、直につよく勝つ事、これ一つの先である。又敵かゝり来る時、我もなほ強くなって出る時、敵のかゝる拍子の変わるタイミングを受け、そのまゝ勝を得る事、是が『対の先』の利なり。第三『対々の先』、敵が早くかゝるには我は静につよくかゝり、敵近くなって、つんと思い切った態勢になり、敵が対応出来ないと見ゆる時、直につよく勝つのである、又敵静にかゝる時、我身軽やかに少し早くかゝりて、敵近くなりて一揉み揉み、敵の対応にしたがひ、強く勝つ事是体々の先である、此の道理を細かく書き分けがたし。此書き付けを以て大略工夫あるべし、此の三つの先はケースバイケースで、常時、我が方より先にかゝる訳でも無いのだが、我方より計って、敵を追い廻はしたいものである、いづれも『先』の事は兵法の智力を以て勝つ事を得る肝心の事で、よくゝゝ鍛錬あるべし

 

『枕を抑える』とは。

 頭を上げさせないということである。兵法勝負の道においては相手に自分をひき回され、後手に回ることはよくない。何としても敵を思いままに引き回したいものである。従って、相手もそのように思う。自分もその気があるわけで,であるから相手の出方を察知することができなくては、先手を取ることはできない。兵法において敵が打ってくるのを止め、突くのを抑え、組み付いてくるところを揉ぎ離すなどをすることなどである。枕を抑えるというのは、自分が一流の兵法を心得て、敵に向かい合うとしたら、敵が思う意図を事前に見破って、敵が打とうとするならば打つの字『う』で先制して、その後をさせないという意味であり、それがまくら押さえるとういうことである。例えば敵がかかろうとしすれば『か』の字で先制する、飛ぼうとうすれば『と』字で先制する、切ろうとすれば『き』の字で抑えていくことで、皆同じことである。敵が自分にどのように仕掛けてきたときも、役に立たないことは敵のするままに任せて、肝心の事をおさえて、敵にさせない様にするのが、兵法において特に重要である。敵のすること抑えようと思うのは後手である。まずこちらは、どんなことでも兵法の道に任せ、技を行いながら、敵も技を直そうとする出端をおさえ、敵のどんな企図も一切役に立たない様にし、敵を自由に引き来回すことこそ真の兵法の達人である。これはただ鍛錬の結果なのである。枕を抑えるということをよくよく調べなければならぬ。

 

渡を越すというのは、

 例えば海を渡るのに、瀬戸というところもあり、また40里、50里の長い海上を渡るのを『渡』というように難所を乗り切るというほどの意味である。 人の一生のうちにも危機を超えるという場合も多いであろう。船路にあってはその『渡』のところを知り、船の位置を知り、日の良しあしをよく知って、友船を出さなくとも、1人で出港し、その時々の状況に応じて、あるいは横風に、あるいは追い風を受け、もし風向きが変わっても風に頼らず、二里や三里は櫓を漕いででも港に着く。『渡』を越す。人の世も一大事を乗り越える、『渡』を越すと思い全力を尽くして危機を乗り越えるということがなければならぬ。兵法戦いの時にも、渡を越す気持ちが大切である。敵の程度を知り、自分の能力を正しく判断して、兵法の道理によって危機を乗り切るということは、優れた船頭が海を渡るのと同じ。危機を乗り切ればその後は心配ないものである。渡を越したしたことによって敵に弱みを生じさせ、わが身は優位に立つことができ、たいていの場合早々と、勝ちを得ることができる。多人数の戦いの上でも、一対一の勝負の上でも、渡を起こすというのは大切なことである。よくよく調べなければならぬ。

 

一 景気を知ると云ふ事

 景気を見るというのは、多人数の戦いでは敵の意気が盛んか、衰えているかを知り、相手の人数のことを知り、その場の状況を知り、敵の状態をよく知って、こちらの人数をどう動かし、この兵法の利によって確実に勝てるというところを見込み、先の状況を見通して闘うということである。また一対一の戦いにあっては、敵の流派をわきまえ、相手の性質をよく見て、その人の短所長所を見分けて敵の意表をつき、間の拍子をよく知って先手をとっていくことが重要である。物事の景気というのは、自分の知力さえ優れていれば、必ず見えるものである。一流の兵法を自由にこなせれば、敵の心の内ををよく推し量って、勝ちをしめる手段は多く見いだすことができるはずである。十分に工夫すべきである

 

一 けんをふむと云ふ事

 剣を踏む。ということは、もっぱら兵法において用いるものである。まず多人数の戦いでは、敵が弓、鉄砲用いてこちらへ打ち掛け、仕掛けてくるというときには、敵はまず弓、鉄砲うち掛けて、その後から攻めかかるものであるから、こちらもまた、弓をツガエ鉄砲に火薬を詰めていては、敵陣に押し入ることはできない。このような場合、敵が弓鉄砲などを放つ前に、いち早く攻め入るように心がけ、早くかかれば敵は、弓の弦をあてがことも、鉄砲を撃つこともできない。敵が仕掛けてくるところをそのまま自然に受け止め、敵の攻撃を踏みつけて勝つことである。1対1の戦いでも、敵が打ってくる太刀を受けていては、とたんとたんという拍子になって、勝負のはかがいかない。敵が打ち掛ける太刀を踏みつける気概で、先制攻撃で勝ち、二の太刀など許さないようにすべし。踏むというのは、足にはかぎらず、身にても踏み、こころにても踏み、勿論太刀にても踏み付け、二の太刀などさせないように心得るべし。これが、すなわち、物事の先。敵の仕掛けるのと同時にぶつかるというのではなく、そのまま後に取り付き機先を制する(先制攻撃の本質である。ボクシングで言うならクロスカウンター)ことである。よくよく調べるべきことである。


一 くづれを知ると云ふ事

  崩れるということは何事についてもあるものである。家が崩れるのも、身が崩れるのも敵が崩れることもみな、その時にあたって、拍子が狂ってしまって崩れるのである。多人数の戦いにおいても、敵が崩れる拍子を捉まえて、その間を取り逃さないように追い立てることが肝心である。崩れるのを外してしまえば、盛り返す場合もある。また一対一の兵法においても、戦っているうちに、敵の拍子が狂って、崩れ目が出てくるものである。その時油断すれば敵はまた立ち直り、態勢を取り戻しどうにもならなくなるものである。敵の崩れ目を突き、立ち直ることができないように、確実に追い討ちをかけることが大切である。追い打ちをかけるとは、一気に強く打つことである。敵が立ち直れない様に討ちはなすものである。この討ちはなすということを、よくよく理解しなければならない。討ちはなさければ、ぐずぐずしがちになる。工夫すべきである。

 

一 敵になると云ふ事

  敵になるというのは、わが身を敵の身になり代わって考えるというのである。世の中を見ると、例えば盗人などが、家の中に立てこもったると、非常に強い敵のように思えてしまう。敵の身になっみいれば、逃げ込んで、世の中の人を皆敵とし、自分ではどうにもならなくなっている。進退極まった気持ちになっているのである。立てこもっているのは、キジであり討ち取りに入り込んでいくものは鷹である。この状態を分析すべきだ。多人数の戦いにおいても、敵は強いものと思いこんで、大事をとって消極的になるものである。しかし良い人数を持ち、兵法の道理を知り、敵にうち勝つところをよく心得ていれば心配すべきことではない。一対一の兵法においても、敵の身になって思ってみよ。兵法をよく心得て、剣の理にも明るく、道理に優れているものに当たっている。必ず負けると思っているものである。よくよく工夫すべきである。

 

一 四手をはなすと云ふ事

 四つの手を離す。というのは敵もわれも同じ気持ちとなり、互いに張り合う状態になっては、戦いはどうにもならなくなるので、張り合うようになったと思えば、そのままの状態を捨て、別の方法で勝つことを知れというのである。多人数の戦いによっては、4つに張り合う状況になっては、決着がつかず、味方の人数も多く失うものである。こういう場合は、早く転身して敵の意表をつくような方法で勝つことが最も大切である。また一対一の兵法にあっても四つ手になったと思ったら、状況をかえて、敵の様子を見て、いろいろと変わった手段で、勝利を得ることが肝要である。よくよく考えなさい。 一 かげを動かすと云ふ事 陰を動かすというのは、敵の中の動きが見分けられない場合の方法である。多人数の戦いにあっても、どうしても敵の状況が分からないときには、こちらから強く仕掛けるように見せ掛けて、敵の出方を見分けるものである。出方が分かればいろいろな方法で、勝つことはたやすいものである。また一対一の戦いにおいても、敵が後ろに太刀をかまえたり、脇にかまえたりしたとき、不意に討とうとすれば、敵はその意図を、太刀に表すものである。敵の意図があらわれ、知れた時には、こちらはそれに応じた手をとって、確かに勝利を収めることができる。こちらが油断すれば、拍子を外してしまうものである。よく調べなければならぬ。

 

一 影を抑ふると云ふ事

 影を抑えるというのは、敵の方からかかってくる意図が見えた時の方法である。多人数の戦いにあっては、敵が仕掛けてこようとするところを、こちらからその戦法を抑える調子を強く見せれば、敵は強い態度をに押されて、やり方を変えるものである。こちらも戦法をかえて虚心に、敵の先手を取り、勝ちを得るのである。一対一の戦いにおいても、敵から生じる強い気を、我が拍子によって抑え、くじけた拍子に、こちらは勝利を見出し、先手を取っていくのである。よくよく工夫しなければならぬ。

 

一 移らかすと云ふ事

 物事には移らせるということがある。例えば眠りなどもうつり、あるいは、あくびなども人にうつるものである。時が移るということもある。多人数の戦いにおいて、敵落ち着きがなく、ことを急ごうとする気が見えたときは、こちらは少しもそれに構わぬようにして、いかにもゆったりとなったと見せると、敵もこちらに引き込まれて、気分がたるむものである。そのような気分が、敵に移ったと思ったとき、こちらは心を空にして早く強く打ちかかることによって、勝利を得ることができる。個人の戦いにおいても、わが身も心もゆったりと、敵がたるむ間をとらえて、強く早く、先手を打って勝つことが重要である。また酔わせるといって、これに似たことがある。ひとつは心にイヤ気が差すこと。ひとつは心に落ち着きがなくなること。ひとつは心が弱くなることであり、こちらの心に相手を引き込むことなのである。よくよく工夫せよ。

 

一 むかつかすると云ふ事

 心を興奮動揺させるということは、いろんな場合にはある。ひとつは危険な場合、二つは無理な場合に、三つには予測しないことが起きた場合である。これをよく研究すべきである。多人数の戦いでも、相手方の心を動揺させることが肝心である。敵の予測しないところを激しい勢いで仕掛けて、敵のこころが定まらないうちに、こちらの有利なように、先手をかけて勝つことが大切である。また一対一の戦いでもはじめはゆっくりした様子で、急に強くかかり、敵の心の動揺に応じて、息を抜かず、こちらの優位のまま、勝ちを得ることが肝心である。よくよくが味わうべきである 一 おびやかすと云ふ事 おびえるということは物事によくあることで、思いもよらぬことに怯えることである。多人数の戦いにあって敵を脅かすことは、目に見えることだけではない。あるいはものの声で脅し、あるいは小さな兵力を大きく見せて脅し。または、横から不意に脅かすなど、すべて脅かすことである。そして敵がおびえた拍子をとらえて、有利に勝ねばならない。1対1の戦いにおいても、身をもって脅し、太刀を以って脅かし、声をもって脅し、敵が思いもかけのことを不意に仕掛けて、敵がおびえたところにつけ入り、そのまま勝利を得ることが肝要である。よくよくを味わうべきである。

 

一 まぶるゝと云ふ事

 まぶるるというのは、敵と自分が接近して、互いに強く張り合って、思うようにならないとみれば、そのまま敵とひとつに混ざり合って、まざりあううちに有利に勝つこと、大切な事である。多人数の戦いでも少人数の戦いでも、敵と味方が分かれて向き合っていて、違いに張り合って勝負が決まらないときには、そのまま敵とからみあい、互いに敵味方の区別が分からなくなるようにして、その中で有利な方法をつかみ、絶対に勝つことが大切である。よくよく吟味せよ。 一 かどにさはると云ふ事 角にさわるというのは、一般に強いものを押すのに、そのまままっすぐに押し込むのは容易なことではない。多人数の戦いにあっては、敵の人数をよく見て、強く突出した所の角を攻めて、優位に立つことができる。突出した角がのめるに従い、全体も勢いがなくなる。その勢いのなくなる中でも、出ているところ、出ているところを攻めて、勝利を得ることが大切である。一対一の戦いでも、敵の体の角に損傷をあたえれば、からだの全体が次第に崩れた態勢になって、容易に勝ちを得ることができる。この道理をよくよく検討して勝ちを得ることをわきまえることが大切である

 

一 うろめかすと云ふ事

 うろたえさせるというのは、敵にしっかりとした心を持たせない様にすることである。多人数の戦いにあっては、戦場において敵の意図を見抜き、わが兵法の智力によって、敵の心をそこか、ここか、あれやこれやと迷わせたり、遅いか早いかと迷わせて、敵の心がうろたえたさせた拍子を捕まえて、確実に勝利を得る方法をわきまえることである。また一対一の戦いにおいても、自分は時期をとらえて、いろいろな技を仕掛け、あるいは打つと見せ、あるいは突くと見せ、また入り込むと思わせ、敵のうろたえた様子につけ込み、思いのままに勝つところ、これが是れ戦の専であるよくよく検討せよ。


一 三つの声と云ふ事

 三つの声とは初、中、後の声といって、三つに分けた声のことを言う。時と場所により、声を掛けるということが大切である。声は勢いを付けるものであるから、火事や、風波に向かってもかけるものである。声は勢いを示すものである。多人数の戦いにあっては、戦いの最初にかける声は、相手を威圧するように大きく掛ける。また戦いの間の声は調子を低くし、底から出るような声をかける。戦いに勝った後には、大きく強く声をかける、これが三つの声である。一対一の戦いにおいても、敵を動かそうとするためには、打つと見せて、初めにエイと声をかけ、声の後から太刀を出すものである。また敵をうち破った後に声をかけるのは、勝ちを知らせる声である。これを戦後の声という。太刀を打つとを同時に大きく声を掛けることはない。もし戦いの最中にかける声は、拍子に乗るための声で、低く掛けるのである。よくよく調べよ。

 

  一 まぎるゝと云ふ事 まぎれるというのは、多人数の戦いの場合に人数が対峙し合って、敵が強いと見たときは、まぎれるといって、敵の一方にかかり、敵が崩れたと見たならば、直ちにうち捨てて、また他の強いところにかかるのをいう。いわばつづら織り模様にかかることである。1人で多勢を敵に回して、闘うときにもこの心がけが大切である。一方ばかりに勝ち抜くのではなく、一方が逃げ出せば、今度は別の強い方へかかり、敵の拍子を見とって、あるいは左、あるいは右と、つづら折りの心持ちで打って行くのである。敵の力の程度を見極め、打ち込んでいく場合には、一歩も引かぬ心持ちで、強く打ち込み勝利を得るのである。1対1の時も、敵の足元に身を寄せて入り込んでいく、敵が強いときにはやはりこの心得が必要である。まぎれるというのは一歩も引くことを知らず、紛れ込んでいことで。あるよくよく理解せよ。

 

 一 ひしぐと云ふ事 ひしぐというのは、例えば敵を弱く見なして、自分は強い気で一気におし潰すことを言う。多人数の戦いにはあっては敵が少人数であることを見抜いたとき、又は、たとえ多人数であっても、敵がうろたえて弱みが見えれば、初めから優勢に乗じて完膚なきまでにうちのめすものである。もし一気におし潰すことが出来ないと、盛り返されることがある。手のうちにに握って、おしつぶすことをよく理解せよ。 また一対一の戦いのときにも自分より未熟な者、また敵の拍子が狂ったとき、退めになったときには、少しも息をつかせず、目を会わせないないようにして、一気にうちのめすことが肝心である。少しも立ち直ることができないことが第一である。(水に落ちた犬は打て)よくよく吟味せよ。

 

一 山海の変りと云ふ事

  山海の心というのは、敵とわれ等が戦う時に同じことをたびたび繰り返すことはないというのである 同じことを2度繰り返すのは仕方がないが、三度してはならない。敵にわざを仕掛けるのに、1度で成功しない時には、もう1度攻めたててもその効果はなくなる。全く違ったやり方を、敵の意表をついて仕掛け、それでもうまくいかなければ、さらにまた別の方法を仕掛けよ。 このように敵が山と思えば海、海と思えば山と意表をついて仕掛けるのが兵法の道である。よくよく吟味すべきことである。

 

一 底をぬくと云ふ事

  底を抜くというのは、敵と戦ううちに、兵法の技をもって形の上では敵に勝つように見えても、敵が敵愾心を持ち続けているので、表面では負けていても、心底では負けていないことがある。そのような時にはこちらは素早く心持ちを変えて、敵の気力をくじき、敵を心底から負けた状態にしてしまうことを見届けることが肝要である。こうして底を抜くというのは太刀によっても、体によっても、また心によっても底を抜くのである。敵が心底から崩れてしまった場合にはこちらも心を残しておく必要はないが、そうでないときには、心を残しておかねばならぬ。敵も心を残しているなら、なかなか崩れないものである。多人数の戦いにも一人ひとりの戦いにもこの底を抜くということをよくよく鍛錬しなければならない。

 

一 新になると云ふ事

  新になるというのは、敵が自分と戦うときに、もつれる状況になってうまくはかがいかなくなったとき、自分の意図をふり捨てて、新しく物事を始める気持ちで、その拍子になり勝ちを見いだすことである。新になるのは、何時も敵と自分とがギシギシするような状況になったと思えば、そのままこちらの意思を変え、まったく違った方法で勝ちを締めるのである。 多人数の戦いにあっても、新たになるということをわきまえることが肝心である。兵法に達っしたものの智力をもってすれば、容易に見えるものであるよくよく吟味せよ。

 

一 鼠頭牛首と云ふ事

  『ネズミの頭牛の首と』いうのは、敵と戦ううちに互いに細かいところばかり気を取られて、もつれる状況になったとき、兵法の道をネズミの頭から牛の首を思うように、細かなところにとらわれず、ポイントを思い返し、局面の転換を図ることを兵法の心掛けで、”鼠頭牛首”と云ふ。武士たる者は平生も、ネズミの頭を牛の首のように、変化を見ることが肝心である。多人数の戦いおいてもこの心掛けを忘れてはならない。 よくよく吟味すべきである 一 将卒を知ると云ふ事 将卒を知るというのは、どんな戦いの時にも自分の思うようになったら、たえずこの”将卒を知る”という方法を行い、兵法の智力を得て、自分の敵となるものすべて我が兵卒と考えて、自分の指図のままに従わせることができるものと心得て、敵を自由に引き回すことを言う。このようになれば自分は将、敵は兵卒となるよく工夫せよ

 

一 束をはなすと云ふ事

 柄を離すというのは、いろんないろいろな意味がある。刀を持たないでも勝つ道もあり、また太刀以外のもので勝つこともある。さ まざまな意味があるのでいちいち書きしるすことはできない。よくよく鍛錬せよ。 一 岩石の身と云ふ事 巌の身というのは兵法の道を得ることにより、たちまちにして厳のように堅固となり、どんなことがあっても切られることなく、動かされぬようになることである。口伝である。 右に書き記したことはに、一流の剣術の場合に絶えず思いあたることである。今初めて兵法に勝つ道を書きあらわしたものであるから、前後の道理が少し混乱して細かく表現することができない。しかしながらこの道を修めようとする人のためには、道しるべとなる。自分が若年のときから兵法の道に心を傾け、剣術の1通りのことを修練し、鍛錬しさまざまな考え方を身に付けたが、他の流派を見ていると、あるいは口先だけでうまい講釈をしたり、あるいは手先で細かい技巧こなし、他人の目には有為のように見えるが、ひとつも真実がない。もちろんこうした兵法は、体を鍛え心を鍛えているとは思うけれども、皆後世への病弊となり、兵法の本当の道が伝わらない。兵法の正しい道が朽ちていく。剣術の正しい道というものは、敵と戦って勝つことであり、これこそ絶対に変わらないことである。わが兵法の智力を得て正しい兵法の道を実践していけば、勝ち得ることは絶対に疑い得ないものである。

宮本武蔵 五輪書(水の巻)

《水の巻》

二天一流の中心は水を手本として利のある方法をおこなうのものであるから、水の巻として一流の太刀筋を此の書に書顕すものなり。この道を細かく、心のままに書くことはできないが、たとえ言葉は届かなくとも、その利は自然とわかるであろう。この書物に記したことについては1言1言1字1字深く考えてほしい、いいかげんに思って学んだのでは、道と違う事を理解してしまうであろう。兵法において、勝つ道については、1人と1人の勝負として描き表してあっても、万人と万人の合戦の方法のことと考え大きく見ることが大切である。
兵法に限って、少しでも道を間違えたり、迷ったりすると道を外してしまうものである。この書物をただ見るだけでは法の神髄を極めることはできない。この書物に書かれていることをわが身にとっての書付と心づけ、心得てただ見るだけと思わず、親しむだけとも思わず、物まねするのでなく真に自分が見いだした利とするように、常に、それが身に付くよう、よくよく工夫しなければならない。


一 兵法心持の事
兵法の道においては、心の持ち方は『平常の心』と変わってはならない。平常も、戦いの時も、少しも変わることなく、心を広く、素直で敏感にし、緊張しすぎることなく、少しもたるむことなく、こころが偏らないように、真理を見抜き、心を流動自在な状態に保ち、その流れが一瞬も留まらないようによくよく注意しなければならない。動作が静かな時にも、心を静止させず、動作が激しく動くときにも、心を平静に保ち、心が動作に引きずられることなく、動作が心にとらわれることなく。どちらかと言うと、身より心の持ち方に気を配り、心は充実させ、また余計なところに心をとらわれぬようにする。外見は弱くとも、底の心は強く、底の心は他人に見抜かれないようにする。身分の低い者は大成している人の物の考え方を知り、成功者も大雑把すぎずに小さなことにも気を使って、大身も小身も、心をまっすぐにして、自分自身をひいき目に見ないように心を持つことが大切である。心の内がにごらず、ひろやかな心でとらわれないところから、物事を考えればならない。知恵も、心もひたすら磨くことが大切である。智恵を磨ぎ天下の理非をわきまへ、物事の善悪を知り、万の芸能其の道にわたり、世間の人に少しもだまされざる様にして後、兵法の智恵成るなり。兵法の智恵に於て、とりわけ間違いやすいものなり、戦の場万事せわしき時なりとも、兵法の道理を極め、動遥なき心、能々吟味すべし

 

一 兵法の身なりの事
体の姿勢は顔はうつむかず、あおむかず、まげず目を動かさず、額にしわを寄せず、眉の間にに皺をよせず、目の玉を動かさないようにして、瞬きをしないような気持ちで、目をやや細める様にする。
おだやかに見えるような顔つきで、鼻筋は真っ直ぐに、、、、ややアゴをだすようなき持ちで、、、、、、肩から全身は同じものと考える。両肩を下げ、背筋を真っ直ぐ、尻を出さず、ひざから足先まで力を入れて、腰がかがまぬように、腹を出す。楔(くさび)をしめるように、脇差を腹で押さえるように、おびがたるまぬように、、、。、、、、、、平常の身のこなしを闘いの身のこなし方として、、、、。

 

一 兵法の眼付と云ふ事
戦いのときの目の配り方は、大きくを広く配る必要がある。目には観の目と見の目がある。観の目は強く,見の目は弱く。離れたところははっきりとつかみ、身近な動きにはとらわれず、それを離してみることが兵法の上で最も大切である。敵の太刀の動きを知るが、動きに惑わされることがない様にするのが兵法の大事なのである。これらは個人の戦いにも、また多人数の戦いにも同じように重要である。こうしたことは忙しいときに急に身につけることはできないものである。この書付けをこころがけ、いつも目つきの変わらないように、反省しておくべきである。

 

一 太刀の持様の事
太刀の持ち方は親指と薬指を浮かすような心持ちで持ち、中指は閉めず緩めず、薬指と小指を締める気持ちで持つ。締め方に緩みがあるのはよくない。敵を切ることを念頭に置いて、太刀を持つ事に気がとらわれても良くない。敵を切るときにも、手の具合は変わることなくて、委縮して動きのとれないことがない様に持つべきである。もし敵の太刀を打ったり、受けたり、当たったり、抑えたりずることがあっても親指と、人さし指の調子を少し変えるくらいの気持ちで、とにかく相手を切るのだという気持ちで、太刀を取らなければならぬ。試し切りにするときも、また真剣で切り会う場合にも、『人を切るのだ』、ということでは刀の持ち方に変わりはない。
太刀の動きにせよ、刀の持ち方によ、とらわれ過ぎて『居着く』。動きがなくなってはならない。とらわれ過ぎて『居着く』ことは死の手であり、『居着く』事がないことが生の手である。
このことを十分に心得る必要がある。

 

一 足づかいの事
足の運びは、つま先を少し浮かせて、踵を強く踏む。足の使い方は、その時によって、大小遅速の相違は在るが、普通に歩むように使うこと。
飛ぶような足、浮きあがった足、固着するような足の三っはよくない足である。
足の使い方では、陰陽とういうことが肝心とされている。陰陽といのは、片足だけが動かされるのではなく、、切る時も、退く時も、受ける時も、右左と足を運ぶのである。くれぐれも、片足立ちの状態にならないよう十分注意しなければならない。


一 五方の構の事
五つのかまへは上段、中断、下段、ひだりのわき、右の脇に構える。
構えを五つに分かれるけれども、みな人を切るためで、待ち構える形はどう在るべきなどと思案するより、先に思案すべきは、敵を切ることであると考えよ。
構えは場合により、有利な方をとれ、上中下は本構え、両脇にかまえるのは応用の構え。兵法の極意では,最善の構えは中段であると心得よ。中段は大将の座である。後の四つはこれに従う。
、よくよく研究せよ。


一 太刀の道と云ふ事
太刀には道筋がある。どういうものかというと、普段自分が差す太刀を二本の指で振った時判る。、太刀をどのように振るべきかということをよく知っていれば、自由に振れるものである。太刀を早く振ろうとするから、太刀の道筋に逆らって自由に振れなくなるのである。太刀は振りいいように、静かに、振る気持ちが大切である、扇、小刀のように、早く振ろうと思うから、太刀の道筋を誤って振れなくなるのである。そうのような振り方は、”小刀刻み”、といって、こんな太刀で人を切ることはできないものである。太刀を使う時は、上げやすいほうに上げ、横に振った時は、横に戻し、自在に、大きくヒジを伸ばし、強く振ることが太刀の道である。我が兵法の五つの基本をよく使いおぼえれば、太刀を振る道が決まり、振り易くなるのである。よくよく鍛錬しなければならない。


一 五つの表(基本)第一の次第の事
五つの基本型について、その第1。第1の構えは、中段を取り、太刀先を敵の顔に付ける、敵にでくわし、敵が太刀をうち掛ける時、太刀を右に外して押さえる。また敵がうちかけた時、切先返しでうち、うちおろした太刀をそのままにしておきながら、敵が打ってくれば、下から敵の手をうつ。これが第1の基本型である。全てこの5つの基本型を読んだだけでは、それが合点できるものではない。五つの基本型については、手にとって太刀の道を稽古するべきところである。、この5つの太刀筋によって、わが兵法の道を体得すると、自在に、敵の打ってくる時の道筋がわかるようになる。従ってわが二刀の太刀の構えには、五つよりほかはないと教える所以である。、よくよく鍛錬すべきである。

 

一 表第二の次第の事
第二の太刀の振り方は上段にかまえ、敵がうちかけてくるところを一気に打つのである。敵を打ちはずした時は太刀をそのまんまにし、敵がまたうち掛けてきたとごろを下たからすくい上げてうつ。もう1度うつ場合も同じである。この基本型においては、様様な心の持ち方やいろいろの拍子があり、この基本形によって我が流の鍛錬をすれば、五つの太刀の振り方をこまやかに体得して、どのようにも勝つことできる、よく、稽古しなければならない。


一 表第三の次第の事
第三の太刀の振り方は、下段に構えひき下げたような気持ちで、敵がうち掛けてきたところ、下から手をうつのである、手を打つところを敵はまた打ってくる。または、わが太刀をうち落とそうとする。そのタイミングの先を捉えて、敵の二の腕を横に切る気持ちである。下段で、敵の打ってくるところを一気に打ち止めてしまうことである。下段の構えは太刀筋を修練するのに、初心のときにも、鍛錬を積んだときにも、よく出会うものである。太刀をとって鍛錬すべきである。

 

一 表第四の次第の事
第四の構えは、左の脇に太刀を、横にかまえて敵がうち掛けてきた手を下から打たねばなぬ。下から打つのを、敵が我が太刀をうち落とそうとする。そこで、敵の手をうつ気持ちで、そのまま敵の太刀筋を受け、こんどは、自分の肩の上からハスカイに切る、これが太刀の振りようである、また敵がうちけてきたときにも、太刀の道筋で受けて、勝つことできる方法である、十分に研究しなければならない。

 

一 表第五の次第の事
第5は、太刀の構えは自分の右の脇に横にかまえて、敵がうち掛けてくるのを受け、我が太刀を横からハスカイに上段に振り上げ、上からまっすぐに切るのである。この振り方は、太刀の道をよく知るためのものである、この基本で、太刀を振りつけていれば、重い太刀も自由に振ることができるようになる。この5つの基本形については、細かく書きしるすことはできない。我が流の太刀の振り方をひと通り知り、拍子をこころえ、、敵の太刀筋を見分けることができるように、まず五つの太刀筋を日頃から鍛錬し、技を磨くことが肝要である。この太刀筋に習熟して、敵の心を見抜いては、様様な拍子で、どのようにも勝つことができるようになる、よくよく心得なければならん。

 

一 有構無構(構えがあって構えが無い)の教への事
構えがあって、構えがないというのは、太刀を構える形というものは、あるべきことではない。しかしながら5つの方向に向けることはかまえということもできる。太刀は敵の出方をきっかけとして、その場所により、状況に従い、臨機応変に、敵を切りやすいように構えることである。例えば上段も、場合によって、少し下げ気意味になれば中段となり、中段を、状況に応じてややあげれば上段となり、下段もときによって、少しあげれば、中段となる。また両脇の構えを位置によって、少し中の方へ出せば、中段、中段もまたは下段になるのである。このようなわけでかまえというものは、あってない理になる。ともかく太刀をとって、どんなことをしても、、敵を切ることが重要である。もし敵が切りかかってくる太刀を、あたる、ねばる、さわるなどいうことがあっても、それらは全て、敵を切るきっかけである、と心得よ。受けること、打つこと、あたること、さわることに思いが片寄るならば、敵を切ることはできなくなるであろ。何事も切るためのきっかけであるということ思うことが大切である、これをよく、よく検討しなければならない。大きな合戦ににあてはめてみれば、、軍勢を配置することが、構えにあたる、、これもすべて合戦に勝つ手段である。決まった形にとらわれることは悪いのである。よくよく、工夫すべきである。

 

一 敵を打に一拍子の打の事
敵を打つ拍子に、一拍子の打ちといって、敵とわれ等が太刀の届くほどところに位置をしめて、敵の心構えが出来ていない前に、自分の身も動かさず、気配もださず、素早く一気に打つ拍子がある。敵が太刀を引こう、外そう、打とう、、などと思う心が起こらないうちに打つ拍子が一拍子である。この拍子をよく習得し、、素早く打つことを、鍛錬しなければならぬ。


"二の腰の拍子"
"二の腰の拍子”というのは、自分がうちかかるタイミングで、敵が、いちはやく、はりのけ後退しときで、、敵が緊張した後のわずかな気のゆるみを見つけ、すかさず打つか、引いて出た気のゆるみをみつけを打つ。これが"二の腰の打ち”である、この書物だけでは、なかなか打つことはできないであろうが教え受ければ、たちまち、合点のいくところである。

 

”無念無想の打ち”
敵が打ちかかろうとし、われもをうち出そうとする。見も心も爆発しそうな緊張の一瞬。この瞬間、空の状態になり、鍛錬した身のこなしは(平常)心の命ずるまま打つのである。これを無念無想の打ちといって、最も大切な、うちでありしばしば出会ううちである、よくよく習得して鍛錬すべきである

 

”流水の打ち”
流水の打ち”とは敵と互角に競り合うとき、敵が早く引こう,早くはずそう、早く太刀をはねのけようとするのを、こちらは身も心も大きく保ち、太刀は体よりも遅く、いかにもゆっくりと、川の流れがよどんで静止するように、大きく打つ。
この打ちかたを習得すれば、確かに打ち良い、この時、敵の位置を良く見極めることが肝要である


一 石火の当りと云ふ事
"石火のあたり”とは、敵の太刀、と我が太刀とが接着し合う状態で、わが太刀を少しも上げることなく、はなはだ強く打つのである。これには足も強く、身も強く、手も強くして、その足と、身、手との3カ所の力を持って、早く打たなければならない、この打ち方はしばしば修練しなければ、打てないものである、よくよく鍛錬すれば強く打てるものである。

 

一 紅葉の打と云ふ事
"紅葉の打ち”とは、敵の太刀をたたき落としてしまうのだ。敵が中段に構え、打とう、たたこう、受けようとする時、自分は無念無想の打ち、あるいは、石火の打ち、などで敵の太刀を強くをうち、そのまま、敵の太刀をはねる気持ちで、切っ先を押し下げつつ打つならば、必ず敵の太刀は落ちるものである。このうちは鍛錬すれば、敵の、太刀を打ち落とすことは容易である。よくよく稽古しなければならない。


一 太刀に代はる身と云ふ事
”太刀にかわる身”。ということは”身にかわる太刀”といってもよい。敵を打つ場合に、わが太刀もわが身も、いっしょに動かして打ってかかっていく事は無いものである。敵の状態に応じてまずわが身を打ち込む態勢とし、太刀はそれに構わずして、敵に打ち込むのである
。もしくは身はそのままの態勢で、まず太刀によって打つこともあるが大抵の場合は身をまず打つ態勢にし、太刀はこれに従って打っていくものである。よくよく研究して打つ修練をつまなければならぬ。

 

一 打と当ると云ふ事
"打つ”ということ”『あたる』ということは別のものである。打つというのは、どのような打ち方でも、意識的に確実に打つということをいう。あたるというのは進んでいったところ突き当たったという心持ちで、非常に強くあたったとし、敵がたちまち死ぬほどあたっても、これはあたりなのである。打つというのは、意識的に打つことである。この点をよくよく調べてみなければならぬ。
敵の手でも足でもあたるというのはまずあたることである。それはあたってから強く打つためである。あたるとはさわるというほどのことである。よく習得するならば、これは別々のことであることがわかる。工夫すべきである。


一 しゅうこうの身と云ふ事
”秋(さる)猴身”とは、手を出さないという心持ちである。敵にわが身を寄せていくとき少しも手を出す心を持たず、敵が打つより早くへ身を寄せていくことである。手を出そうと思えば必ずには遠のいてしまうものであるから全身を素早く敵に寄せてしまうことである。互いに手の届くほどの間合ならば、身を寄せてしまうことも容易である。よくよく調べなければならぬ


一 しっかうの入身と云ふ事
”漆膠の身”とは漆膠をつけたように、敵の身に我が身を密着させて離れぬことである。敵の身に近づくとき、頭も、身も足もすべてへぴったりとよせ付ける、大抵の人は顔や足は速く寄せ付けても、とかく身だけは後に残るものである。敵の身にわが身をよくつけ、少しも身にすき間のない様に付けるものである。よくよく検討すべきである。


一 たけくらべと云ふ事
たけくらべ”というのは身の丈比べで、敵に身を寄せたとき、わが身が縮まないないようにして、足も腰も首も十分に伸ばし、敵の顔と自分の顔を並べ、背丈を比べれば、自分の方が勝つと思うほどに身を十分に伸ばし気でも押し、強く入ることが肝心である。よくよく工夫しなければならぬ。


一 ねばりをかくると云ふ事
粘り掛けるのだ!自分の太刀を敵の太刀につけて、離れないような気持ちで、身を入れることを言う。ねばるとは、太刀が容易に離れるようにする心持ちであり、あまり強くすぎない気持ちで入り込まねばならぬ。敵の太刀につけてねばり掛けて入り込むときにはどれだけ静かに身を入れてもよい。ねばるということと、もつれるということは違うことであり。ねばるのは強いが、もつれるのは弱い。このことをよくわきまえよ。


一 身のあたりと云ふ事
身あたりとは、敵の間際に入り込み、身で敵にあたることである。自分の顔をややそむけ、自分の左の肩を出し、敵の胸に突き当たるのである。ぶち当たって跳ね飛ばすき気概で、はずむように懐に入るのである。こうして入ることに修練を詰めば、敵を2間も3間もふっとばすほど強力となるものである。敵が死にそうになるまで、あたるものである。よくよく鍛錬せよ

三つの受けの事
三つの受け方というのは敵に入り込むのである。敵がうち出す太刀を受け、自分の太刀で敵の目を突く、敵の太刀を自分の右に外し入る。また、突きうけで、敵が打ってくる太刀を敵の右の目をつくようにして、首をはさむような心持ちで、突きかけ入る、又打かかってくるとき、短い太刀で受け、太刀はそれほど気にせず、左の手で、敵の顔をつくようにして入り込むのである。以上が3つの受け方であるが、いずれも左の手をにぎり、その拳で敵の顔をつくようにして入る。よくよく鍛錬せよ。

 

一 おもてをさすと云ふ事
顔を差すというのは、立会いのときに、たえず敵の顔を自分の刀の先でつく気持ちでいることである。気を前にだし、敵の顔を突き刺そうという心があれば、敵は顔も体ものけぞるようになる。敵が、顔や体身をのけぞらせれば、勝つチャンスが膨らむ。よくよく工夫せよ。戦いの間に、敵が身のけぞらせるような状態になれば、もはや勝利である。従って顔を差すことを忘れてはならない。兵法を稽古をする間に、この気の持ち方をよく鍛錬すべきである。


一 心をさすと云ふ事
心臓を刺すというのは、戦い中で、上がつかえ、脇もつかえているようなところで、切ることがどうしてもできない時、敵をつくことである。わが太刀の峰をまっすぐに敵に見せ、切先を下げ、太刀先がいがまないように引いておいて、敵の胸を突くのである。もし自分が疲れきった時あるいは刀が切れないようになったときには、。この方法をもっぱら用いるようにする。よくわかっていなければならぬ。

一 喝咄と云ふ事
”喝””咄”というのは、打ちかかり敵を押し込む時、敵がうち返し、跳ね返す時、下から刀を突き上げ、返す刀でを打つ。どちらも早い拍子で、喝とうち、咄と突き上げ、”喝咄”と打つ呼吸である。この拍子はいつも打ち合の際にはよく出会うものである。喝と咄のやり方は、刀の切先をあげるようにして敵をつく、刀を上げると同時に一気に打つ拍子である。よく稽古し調べてみなければならないことである。

一 はり受と云ふ事
はりうけとは敵と打ちあうとき、”とたんどたん”というような拍子で、敵が打ってくるのを自分の太刀ではたいて置いて打つことである。
はたくということはさして強くはたくものではなく、また受けるものでもない。敵が打ってくる太刀をはたき、敵を制して打つことである。はたくことによって先手を取り、先手を取って打つことが肝心である。はたく拍子が上手になると敵がどんなに強く打っても、少しでもはたく気さえあれば、こちらの太刀先が落ちることはない充分に習得して調べなければなら
ない。


一 多敵の位の事
多敵の位というのは、こちらは1人で大勢の敵と戦うときのことである。我が太刀と脇差を抜いて左右に広げ、構えるのである。敵が四方からかかってきても、一方へ追い回す気概である。敵がかかってくる位置、前後の気配をよく見抜いて、先にくるものとまず戦い、大きな全体の動きに目の配り、敵がうちかかってくる位置を心得、左右の刀を振り違える。切り下ろし、戻す刀で脇の敵を切る気概で、素早く太刀を両脇の態勢にもどす。敵が出てきたところを強く切り込み、打ち崩し、そのまま敵が出てくるの打ちかかり、打ち崩していくことである。大切なことは、一方から魚ツナガリの敵をを追い込むような心持ちでかかり、敵の隊列が乱れて、重なりあったと見たら、そのまま間はおかないで強く打ち込むのである。敵が固まっているところを真正面からまともに追い回せば、はかがいかない。また敵が出てきたところを、打とうとすれば、こちらが後手になってはかが行かない。敵の打ちかかる拍子を受けて、崩れる拍子を知り勝利を得ることである。折りに触れて大勢よせ集め、これを追い込む方法に習熟してその確信を得れば、1人の敵も10人20人の敵も冷静に戦えるものであるよくよく稽古して調べるべきである。

 

一 打あひの利の事
”打ち合いの利”ということ。(打ち合いで勝ちを収める道理)自得することである。細かには書き切れせることではない。よくよく稽古して勝利への道を知るべきである。全て兵法の真の道を表すは太刀である。口伝である。


一 一つの打と云ふ事
決闘に向かったら,確実に勝利を得ることである。しかし、これは兵法を十分に学ばなければその道を体得することはできない。このことをよくよく鍛錬すれば、兵法をこころのままに行うことができるようになり、思うとうりに勝利を得ることができる。よくよく稽古すべきである。

 

一 直通の位といふ事
直通の心というのは二刀一流の真実の極意を受けて伝えるものである。よくよく鍛錬してこの兵法の道を身につけることが肝要である。口伝である。


二天一流の剣術の概要をこの巻で述べた。兵法に従って太刀を取り、相手に勝つ道を会得するには、まず五つの基本形で、五方の構えを知り、太刀の使い方ををおぼえ、全身が柔らかになり、心を反応させ、従い、兵法の拍子を掴み、ひとりでに太刀も手さばきも冴えて、身も足も自然に円滑に動き、自由自在になる。それに従って、1人に勝ち。2人に勝ち。兵法における善悪がわかるようになり。この書物内容を、1か条1か条稽古して。敵と戦い、次第次第に兵法の利を会得するのである。
このことをいつも心掛けながら、しかも急がず、おりにふれて闘って、そのこつをおぼえ、どんな人と打ち合っても相手の心を知っておくのである。
千里の道も一歩ずつ運ぶのである、ゆっくりと気長に取り組み、この兵法の道を修業をすることは武士の務めであると心得て、今日は昨日の自分に勝ち、明日は自分より下手なものに勝つ。つぎには自分より上手なものに勝つと思い、この書物の通りに鍛錬を積み少しもわき道に心を迷わさないように考えよ。
たとえどんな敵にうち勝っても、一流に反するような勝ち方では、実の道ではない。この一流の道理を念頭に置き、一人で数十人の敵にも勝つ心得も忘れてはならない。そうなればあとは、実の知識と実践によって、多人数の時も、1対1の決闘のことも会得することができるであろう。千日の稽古を鍛といい。万日の稽古を錬というのである。よくよく調べるべきことである

 

宮本武蔵 五輪書(地の巻)

宮本武蔵 五輪書(地の巻)

 

この兵法の道を二天一流と名付ける。数十年来鍛錬してきた事を、初めて書物に顕そうと思った。時を記す、寛永二十年十月上旬の頃。所、九州肥後の地。岩戸山(市内を金峰山を挟んで反対の海側)に上り、天を拝し、観音(岩戸観音)を礼し、仏前に向う。我、生国は播磨の武士、新免武蔵守藤原玄信歳、以って六十、若年の昔より兵法の道に心を掛け、十三にして初めて勝負を為す。

 其の時、新当流有間喜兵衛と云ふ兵法者に打勝つ、十六歳にして但馬国、秋山と云ふ兵法者に打勝つ。二十一歳にして都に上り、天下の兵法者に会ひ、数度の勝負を決す、されど勝利を得ざると云ふこと無し。其後、国々、所々に至り、諸流の兵法者に行逢ひ、六十余度まで勝負をなすと云えども、一度も負け無し。それは、歳十三より二十八、九までの事なり。

 我三十を越えて、過去を思い見返るに、兵法を極めていて勝利したのではないと思う。生来の器用さが有って、自然の理が離れざる故ではないか、又は敵の法の兵法不足なる所なのか、其後なお深き道理を得ようと朝鍛夕錬して見れば、自を兵法の道に合ふように完成したのは、我が五十歳の頃なり。それより後は尋ね入るべき道なく、光陰を経た。兵法の理(これは万事に通ずるようだ)に従って、諸芸諸能の道を学んだが、万事に於て、我に師匠無し。(兵法の理に従えば師匠が無くても、そこそこやれる)

 今、此書を作ると云へども、仏法、儒道の古語をも借らず、軍記軍法の古きことをも用ひず、此の二天一流の見たての『実の心』を顕す気持ちは、天道と観世音を鏡とする気持ちで、透き通り、確としている。十月十日の夜、寅の一天に筆をとって書初るもの也。

 兵法というのは武家の法である。将たる者は特別大事にこの兵法を思い、この兵法を体得しておくべきである。今の世の中に、確実に兵法を体得していて、人に伝え得るという武士は私以外にいない。まず、仏法は人を助ける道を顕し、儒者は文の道を顕し、医者は諸病を治す道、歌道者は和歌の道、数寄者、弓法者、諸芸、諸能それぞれ思い思いに稽古し、真実に大成している人はいるが、兵法の道では大成している人はまれだ。
 まず武士は文武両道を謹むのが道である。従ってこの道に不器用では済まぬ。武士はそれぞれの能力に応じて兵法を謹むべきものだ。おおかたの、”武士の心得”を“只死ぬる”のに儀に矮小化しているが、死ぬのは武士だけに限った事ではない。出家、女、百姓に至るまで、義理を思い、恥じを思い、死するべき時を思い、で差別は無い。武士が兵法を実践するとは、何事においても、人に優れているということを根本とすべきで、1対1の切り合いに勝ち、あるいは数人との戦いに勝ち、主君のために勝ち、名を挙げ身を立てようと思うのが道理である。常時すぐ役立つよう稽古し、万事に役に立つように教えることこれこそ兵法の実の道である(負けて死んだのでは、意味が無い) 漢土和朝までも此道を行ふ者を、『兵法の達者』と云ひ、云い伝へがある。本来,武士として、此法を学ばずと云ふ事あってはならない。
 最近、兵法者と称して世を渡る者あり。是は剣術では大方そうである。常陸国鹿島や香取の社人どもが”明神の伝へ”と称して流派を立て、国々を廻り、人に宣伝しているのは最近の流行である。古より十能六芸と流行芸があり、その中に利用便法とか、奥義とか、芸全般に通ずる利方があるとか宣伝している。剣術全般にかぎらず、剣の技術にまでそのようなものがあるとは、剣術とはそのように簡単に身に付くものか?無論兵法とは、そんなに簡単に身に付くものではない。世の中を見ると、芸を売り物にする武芸者がいる、諸道具についても利用便法付きで売り出している。花はあるが、実がない。とりわけ兵法の実についての講釈が無いのだ。方法論を華やかな言葉で飾りたて、利用便法にして『わが道場では短い太刀の素晴らしい使い方を』、あるいは、『わが道場では長い太刀の素晴らしい使いかたを』と大声で宣伝している。うっかり習って、その利方を身につけでもしたら、『生兵法は大怪我の元』という結果になってしまう。

  おおよそ、人の渡世に士農工商の四つの道がある。ひとつには農の道、農民は色々の農具で四季に合わせた作物を作る。二つには商の道。酒を作ったりして、醸造に適した道具を見つけ、その利を生かしている。それぞれがそれぞれの道具の利を生かして稼いでいる。三つ目に強調したいのは武士の道である。武士に置き換えて言うと、兵具が農具、道具にあたる。兵具をそろえ、兵具の利用便法を身につけ、大工が物差しで図面の確認をするように、寸暇を惜しんで、兵具の利用便法マスターする。 これこそ士農工商それぞれの道である。

 これから、兵法の道を大工の道に喩え、書きあらわす。大工はおおいに工むと書く。兵法の道も多いに巧むが肝要であるので、大工に喩える。兵法を学ぼうと思うものは、この書の趣旨をよく思案して、弟子は糸だと思って(針の)師につながり、続く気持ちで絶えず稽古に励げめ。 大将は大工の棟梁と同じ。天下の尺度をわきまえ、国家の尺度を糾し、家の尺度を知るのが棟梁の道である。大工の棟梁は堂塔伽藍の尺度を覚え、宮殿楼閣の図面を知り、人々を使って家を建てる。それは大工の棟梁も武家の頭領も同じである。家を建てるには木を配り、まっすぐで節がなく、見かけの良い材木は表の柱とし、少し節があり、それでも真っ直ぐな木は、裏の柱とし、多少弱くても節がなく美しいのは、敷居、鴨居、戸障子などとし、節があって歪んでいるものは、その木の使い方を考察し、木をよく吟味し使用すればその家は長持ちする。材木の中でもフシが多く歪んでいて、弱いのは足場にでも使い、後には薪にでも使うのがよい。棟梁が(人手)大工を使うにあたっては、腕前の上中下を知り、あるいは床回り、あるいは戸障子、あるいは敷居,鴨居、天井というように、それぞれに応じて使い分け、腕の悪いものには根太をはらせ、もっと悪いものには楔を削らせるなど、人(大工)を見分けて使えば仕事の能率が上がって、手際よく行くものである、仕事のはかがゆき能率がよく、妥協が無く、余裕があって、人の仕事に使う神経の上中下を感じ、(時をみて)励まし、無理(押し付けない)を知る。こうした事を心得ているるということを、棟梁としての心得があるというのである。兵法の道理もまたこの様なものである。 兵卒は大工である。自ら道具を研ぎ、いろいろな金具のタガをこしらえ、大工箱に入れて持ち、棟梁のいいつけを聞いて、柱、梁を手斧で削り、床、棚を鉋で削り、透しものを彫り、規矩を糺し(寸法をただす)、手のかかる隅々まで立派に仕上げるのが大工である。図面の上でデザインし、自らの手にかけてその仕事を終える。

 それから、大工の下心得はよく切れる道具を持ち、暇をみてこれを研ぐことが肝要である。その道具を使って棚、机、又は行灯、爼板、鍋の蓋までも器用に工作するのが大工である。吟味しなければならん。大工の(基本的な)心得は仕事が後になって歪まないこと、止めを合わせること、カンナで上手く削ること、磨り減って使い物にならないような物を作らない事。これが肝要である。兵法の道をを学ぼうと思うならば書き記したことども、一つ一つ念をいれて、よく吟味しなければならない。

 

兵法を五つの道に分けて、巻ごとにその概要を書き、地、水、火、風、空に分け、五巻として表すものである。 地の巻においては、兵法の道のあらまし、我が流の見方を説いている。剣術だけをやっていては,本当の兵法の道を得ることはできない、大きいところから小さいところを知り、浅い所から深いところに至る、まっすぐな道を思い描くことになぞらえて、最初の巻を地の巻と名付ける。 第二は水の巻である。水を手本とし、心理を水に映す気持ちである。水というものは四角い容器にも、丸い容器にも従って形を変えたり、1滴ともなり、大海ともなる。水には青々とした深い淵がある、その清らかで、理解しやすい部分から我が一流の事をこの巻に書き顕す。剣術の道理を理解すれば、1人の敵に自由に勝ち、世のすべてに勝つこともできる。1人に勝つということでは、1人の敵であろうと、千万の敵であろうと同じことである。将たる者の兵法では、小さいことから大きいことを洞察する。一尺の金属から大仏を建立するのと同じである。このようなことは、細かく表現できるものではない。一を以って万を知ることが、兵法の道理なのである。我が一流のことをこの水の巻に表す。 第三は火の巻である。この巻では戦いのことを書く。火は、大きくなったり小さくなったりする。それになぞらえて戦いのことを書くのである。戦いの道は、個人と個人との戦いも、集団をもっての戦いも同じである。こころを大きくして、細部に注意を向け、よく研究してみなければならない。 ただし大きなところは見えやすく、小さいところは見にくい。というのは多人数でやることは直ちには戦術を転換できない。1人のことは、個人の心ひとつですぐ変わるから、小さいところがわかりにくい。こうしたこともよく研究することである。 この火の巻に書き表したことは、瞬間的に決まることであるから、日々に習熟して、平常心で向かえるように、心が動揺しないことが兵法の究所である。こうしたことから、戦い、勝負のことを火の巻として書き表す。 第四は風の巻である。この巻では、我が一流のことでなく、世間の兵法について各流派のことを書く。風というのは、昔風とか、今風とか、それぞれの家風などのことである。世間の兵法について、各流派の本質を書きあらわすのである。これが風である。他流派の本質をよく知らなければ、我が兵法の道を体得出来ない。道の鍛錬をして行くのにも、外道という事がある。自分では上達する道を行っていると思っても、本当の道ではない、間違った道を行くと、始めの少しの歪みが、後には大きな歪みとなるのである。調べるべきことである。他流派の兵法では、剣術を極めれば兵法が極まると思っているようだ。もっともだが誤りである。我が兵法の剣術の理と技においては別格と考えて貰いたい。世間の兵法を知らしめるために、風の巻を書き表すものである。 第五は空の巻である。この巻を空の巻と名付けるのは、他流が奥とか口とか、口幅ったく言っている事の本質を一口で言い表すためである。他流は道理をつかんだ積もりでいて、本当の道理から離れている。兵法の道とは、(空の状態で)自然に自由があり、自然に素晴らしい力を得、時期が到来して、拍子を知り、自然に打ち、自然に当たる、これがみな空の道である。自然に実の道に入る事を空の巻に書き留める也。 奈良本辰也、五輪書入門より 『物事の道理がわからなくなったところを”空”だとしているようだが、これは本当の空などではなく、ただの迷いこころにすぎない。 武士たるものは、兵法の道をしっかりと体得し、その他の武芸を良く学び、武士としての正しいありかたについてよく心得、 心迷わすことなく、朝に夕につとめ、心、意の力を養い、観、見の二つのちからをみがき、迷いの雲を抜け出たところこそ 真の"空”なのだと悟ら無ければいけない』 空に対する私の解釈 一番適格な動きが必要な”体”にも,状況分析を瞬時にする”心”にも、朝鍛夕錬に依って情報が詰まっていて、必要に応じて一番適格な情報を取り出し得る。それらの過程が瞬時に行われる。戦いでは、それらの情報処理の遅れが死に繋がる。身も心も、情報に満ち満ちていて、なお且つ適格な情報の処理がスムースに行われる状態を”空”といっていると思う。


一 此一流二刀と名くる事 二刀(二天一流)と名付けるのは、武士は、将も兵卒もともに、二刀を腰に付けて役職を持つ。昔は太刀、小刀と云ふ。今は刀、脇差、と云ふ。武士たるもの、此の両刀を持つ事、細かに書顕す必要が無い。日ノ本の我が朝に於ては、何時からか腰に刀を帯びるのが武士の形式である。、此二つの利を(忘れかけた利)知らしめんために、二刀一流と云なり。鑓、長刀(なぎなた)その他の武具を使う者でも、刀は帯びる。一命を捨てる時は、道具を残さず役に立てぬまま、腰に納めて死する事、本意であるはずがない。我が流の道では、初心の者には太刀、(小)刀を両手に持って稽古をする、両手に物を持っては、左右ともに自由自在とは叶ひがたし。故に太刀を片手にて取り習はるす。鑓、長刀、大道具は別にして、刀、脇差に於てはいづれも片手にて持つ道具である。太刀を両手にて持って不都合な事は、第一馬上にて不都合、かけ走るとき不都合、沼、ふけ(深い田)、石原、険しき道、人ごみに不都合。左に弓、鑓を持ち、其外何れの道具を持っても、皆片手にて太刀を使ふものなれば、両手にて(1本の)太刀を構ふること実の道(本当に有利な)にあらず、若し片手にて打殺し難き時は、両手にても打留るべし、手間の要る事にても有るべからず(両手でうち殺せ)、先ず片手にて、太刀を振り憶え、二刀として太刀を片手にて振り覚ゆる。初て取りし時は、太刀重くして振り回し難きものだ。それは、太刀に限らず万事初めて取り付ける時は弓もツガイがたし、長刀も振りがたし、其道具道具に慣れて、弓も力強くなり、太刀も振りつけぬれば道の力を得て振り良くなる、太刀の道と云ふ事、早く振るにあらず、第二水の巻にて見るべし、太刀は広き所にてふり、脇差はせまき所にてふること、先づ道の本意である。二天一流においては、長きにも勝ち、短きにも勝つ。に依て太刀の寸を定めず。いずれにても勝事を得る心、一流の道なり。太刀一つ持たるよりも二つ持ちて善しき所は、多勢と一人して戦ふ時、又取り籠もり者(篭城者)などの時によきことあり、このような儀今委しく書顕すに及ばず、一を以て万をしるべし、兵法の道行ひ得ては一つも見えずと云ふ事なし、よく吟味有べきなり。