元治元年(一八六四)年三月、当時学者を志していた乃木希典は、家出して萩まで徒歩で赴き、吉田松陰の叔父の玉木文之進への弟子入りを試みた。 ところが、文之進は乃木が父希次の許しを得ることなく出奔したことを責め 「武士にならないのであれば農民にな…
第一ケ条 政府に入って、閣僚となり国政を司るのは天地自然の道を行なうものであるから、いささかでも、私利私欲を出してはならない。だから、どんな事があっても心を公平にして、正しい道を踏み、広く賢明な人を選んで、その職務に忠実に実行出来る人に政権…
二刀一流の兵法の道を空の巻として書きあらわす。空というものは、見ようとして見えないもので、心と体にいっぱいに満たした状態が空である。もちろん、空とはないということである。存在が見えない。世間一般においては、悪い言い方をすれば、物をわきまえ…
兵法の道では、他流の道を知ることが大切と考えて、他流のさまざまな兵法をここに書付け、『風の巻』としてこの巻を表した。他流の道を知らなくては、一流の道を的確に表現することは出来ない。大きな太刀を使い、道場で強いということだけをその兵法の売り…
二天一流の兵法におい、戦いのことを火の勢いに見立てて、勝負に関することを火の巻として、この巻に書きあらわすものである。世に兵法と呼ばれるものをだれもかれももが矮小化し、指先の力加減、手首の動きなどを。あるいは扇を持って、ひじから先の小器用…
《水の巻》 二天一流の中心は水を手本として利のある方法をおこなうのものであるから、水の巻として一流の太刀筋を此の書に書顕すものなり。この道を細かく、心のままに書くことはできないが、たとえ言葉は届かなくとも、その利は自然とわかるであろう。この…
宮本武蔵 五輪書(地の巻) この兵法の道を二天一流と名付ける。数十年来鍛錬してきた事を、初めて書物に顕そうと思った。時を記す、寛永二十年十月上旬の頃。所、九州肥後の地。岩戸山(市内を金峰山を挟んで反対の海側)に上り、天を拝し、観音(岩戸観音)…
【 葉隠聞書 】 「武士道とは死ぬことことと見つけたり」 という言葉が、あたかも武士道の神髄であるかのように受け取られて久しい。今から六十数年近くも前、悲惨な太平洋戦争の時に、日本の若者たちは、特攻隊としてゼロ戦に乗り、人間魚雷回 転に乗り、華…
【 留魂録 】 身はたとい武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂十月二十五日 二十一回猛士(松陰が使用した号の一つ) 【第一章】私の気持ちは昨年から何度も移り変わり、それは数えきれないほどである。とりわけ私が趙の貫高や、楚の屈平のようにあり…
實語教 山高故不貴 以有樹為貴 山高きが故に貴からず。木有るを以て貴しとす。 人肥故不貴 以有智為貴 人肥えたるが故に貴からず。智有るを以て貴しとす。 富是一生財 身滅即共滅 富は是一生の財。身滅すれば即ち共に滅す。 智是万代財 命終即随行 智は是万…